ヨシタカの金沢Uターン日記 | おいしいおこめのおすそわけ

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ヨシタカの金沢Uターンドタバタ記

2014年3月、おいしいおこめのおすそわけメンバーの一人、ヨシタカは15年の東京生活を卒業し、地元の金沢に帰る決断をしました。
 転職先は自分には最も遠い存在だったとある役所。
 外資系から田舎のザ・役所という真逆のカルチャー、毎日ワタワタしながらも、地方に住むようになって、地方のこれからをより真剣に考えるようになって、この活動のミッションも、よりクリアになってきた気がします。
 日本にとって、地方ってなんだろう。残ってほしいから、帰ってきたし、ここで残りの人生、踏ん張って見ようと思います。
 隠れブログなので、つれづれになりますが、ゆるゆると、随時アップしていきます。

 鴨のいる生活/2020年8月

 5月末、我が家で鴨を飼い始めました。家畜ではなく、ペットです。かわいいです。さらに、かわいい我が子たちがかわいがる姿をみて、「かわいいのスパイラル」が起きています。とてもいいことです。名前は鴨ン・メルちゃんといいます。仏語のメルシーが由来です。

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 鴨と人間の関係といえば合鴨農法がまず連想される方も多いでしょう。平安時代からあると言われています。お米づくりでやっかいな田んぼの雑草や害虫を鴨が食べてくれます(正確には、害がないものもなんでも食べちゃうのですが)。さらに、糞は田んぼの肥やしになります。
ただ、現代の合鴨農法の鴨ちゃんたちは家畜で、稲刈り後の冬にすべて屠殺され、食用に出荷されるのが一般的です。そして鴨の肉はとても美味しい。どこまでも人間にとってありがたい存在です。

 鴨の魅力に気づくきっかけは我が子が通う保育園でした。園長先生のご実家で合鴨農法をされていて、百羽ほど飼っています。その数羽を保育園でペットにしていて、その愛らしさに見惚れました。

IMG_0953 (1).jpg保育園の鴨

 園長にお願いして、2年前、息子と屠殺の体験もさせてもらいました。「命をいただくということ」とはどういうことか。頭ではわかっていても、ちゃんとかみしめなくてはいけないという思いから勇気を振り絞って臨みました。逃げる鴨を捕まえ、首を落とし、血を抜き、羽をむしり、内臓を取り出し、肉を取り分ける。生々しく壮絶な経験でした。息子も怖がりました。でも、ちゃんと何かを感じてくれたようです。夕食時、「美味しくない」と食べない妹を諭し、一口一口噛み締めながら、全部食べていました。

 さて同じ現場に、1羽譲ってもらうためにまた家族で訪れました。四角い大きな桶の中で生まれたての小さな赤ちゃんが百羽ほど密集して、ピヨピヨと鳴きながら元気に餌を奪い合っています。そのケージの中に入っていなくて、園長のタオルに包まれた一羽がいました。口が大きく開いてしまっていて、ぐったりして生気が抜けています。「自分で食べることもできない。もう2時間で、ダメでしょうね」と園長。集団での生存競争に馴染めない子だったのでしょう。横で陽子先生がお粥のようなご飯を一生懸命口に運んで喉の奥まで押し込み、ドライヤーで身体を温めることを繰り返して、救おうとしています。

 一晩たって、陽子先生のお家からそのピヨちゃんが我が家にやってきました。陽子先生の徹夜の献身的な看病のおかげで、なんと元気になって自分で立っています。やわらかいご飯粒ならもう自分で食べられます。子どもたちの歓喜の声とともに迎い入れました。陽子先生が神様に見えました。

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 以来、毎日我が家の話題の中心はメルちゃんです。日中は庭に放ちます。カラスやトンビに狙われないようにぼくらがSPのように見守ります。ホームは家の土間で、餌場と寝床があります。夜は一緒にお風呂に入り、とりあいになりながら居間で抱っこします。生まれたてから一緒にいるいわゆる「すりこみ効果」で、ちゃんと懐いてくれます。ぼくが歩けば後ろをペタペタとついてきます。遠くにいても「メル」と呼べば「ピヨピヨ」と居場所を教えてくれます。庭も決まったところをウロチョロして、ホームにちゃんと返ってきて逃げません。ただ、犬や猫と違ってトイレを覚えないのはやっかいです。土間であちこちにするウンチを拭き取り、掃除するのが日課となりました。とはいえ、手間がかかるといえばそのくらいです。餌はレタスやトマトなどの野菜、生米、庭に生えているクローバーをあげればいいので特別なものは要りません。経済的でエコで、そして平和な動物です。

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 メルを飼うことで、いろいろと見方が変わったことがあります。一つは庭です。我が家は田舎なので130坪くらいの敷地があって、そのうち70坪くらいが芝生だったり雑草生い茂る庭なのですが、存分に餌さがしを満喫してくれています。一番解像度を高く庭を見ているのがメルで、ちゃんと生態系があることを教えてくれるのです。芝刈りを頑張っている身としてはその嬉々とした姿に報われる思いですし、お家で過ごすのがより楽しくなりました。もう一つは、ナメクジとミミズとクローバーへの感謝です。どれもメルちゃんが来る前は否定的なイメージを持っていました。とくにクローバーは芝生にとって天敵です。むしり取ることだけを考えていました。しかし、メルちゃんにはどれもご馳走なのです。梅雨のジメッとした朝、植木鉢をめくるのが楽しみでしかたなくなりました。ミミズとナメクジには申し訳ないですが、まるでスーパーマリオのコインのように、みつけたら「メル喜ぶね」とみんなで大はしゃぎです。ときどき近所の子どもたちもメルにあげに来てくれます。

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 屠殺の体験をした息子は、メルに一番愛おしさを感じ、優しい気がします。愛おしいものの存在というのは、その存在からの視点を自分に与えてくれて、世界を広げてくれます。他者が自分の中に入ってきて「そういう感じ方もあったのだな」と新たに気づく。そんな想像力を与えてくれます。感染症に怯え、ストレスが日に日に募る昨今、「うつす」/「うつされる」という自分にとっての受動と能動という関係だけでは悶々とするばかり。その他者に視点を移すことに、可能性を感じ始めています。それができれば感染の報告だって数や経路の特定ではなく、最初に「お大事に」という一言が自然に出るようになるのではないでしょうか。「自分のこと」というのが揺さぶられ、少しだけ広がり、ひいては社会が寛容になっていく。

写真 2020-07-30 13 45 17.jpg2ヶ月であっという間に大きくなる。もうすぐ声変わり。

 鴨は群れて生きる動物とされています。元気になったメルちゃんも本当は鴨の仲間と一緒に生きたいでしょう。どうもメスのようなのでゆくゆくは家族ができたらなと思っています(そんなにたくさんは飼えないと妻からは反対されていますが)。はてさて、鴨かららみたら、人間は群れて生きる動物なのでしょうか。集団どおしで分断があり、人どおしは距離を置かなくてはいけなくなっている。いつかメルちゃんに聞いてみたいです。

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 あたりまえのこと/2020年5月

 おかわりないでしょうか。この2ヶ月で、パンデミックは石川県も飲み込み、今では10万人あたりの感染者数は東京都とほぼ同じになりました。
 人に会えない、家から出られない。世界が変わってしまった。心がざわざわして、この状況にどう処したらよいのか悶々としています。

 ここで、今読んでいる一冊の本を紹介させてください。ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーの会長であるボブ・アイガーの回顧録『The Ride of A Lifetime』(Robert Iger,BANTAM PRESS)です。訳せば『人生というアトラクション』みたいなかんじでしょうか。ぼくはかつてこの日本法人に勤めていて、その期間ずっとCEOだった人です。直接お話ししたことはないですが、次々と勇敢な投資を行って、株価もどんどん上げる。その経営の舵取りに惚れ惚れしながら働いていました。ウォルトの意志を引き継ぎつつ、ピクサーやマーベル、ルーカス・フィルム、さらには20世紀フォックスを次々と買収し傘下におさめ、エンターテイメントの世界で帝国を築くことに成功したといっても過言ではないでしょう。世界で一番報酬の高いサラリーマンとニュースになったこともあります。

 こうやって書くと、資本主義の象徴であるアメリカで、会社の経済的成長だけを目標に、厳しい競争社会を勝ち抜くためには手段を選ばない血も涙もない人物が想像されます。もちろん生き馬の眼を抜くあの世界でトップに立つのだから、そういうストイックな側面も一部はあるでしょう。でも、もしただそれだけのお人柄だったとしたら、ぼくは全く興味ありません。この本を買ってまで読んでみたいと思ったのは、アイガーは、人間味が溢れる人だと感じたことが何度かあるからです。
 在職中に東日本大震災がありました。当然ですが日本のすべてのビジネスが止まり、業績なんていってられない状況で、放射能の脅威もありました。冷酷な、いや合理的なアメリカ企業なら、会社を守るために即座にリストラしてもおかしくない。
 そんな中、アイガーからビデオメッセージが届きました。日本の社員に向かって「必要なら休め。何も心配することはない。こちらもできる限りのサポートをする。」と語りかけるものでした。世界中の社員からの義援金もありました。日本の経済活動が止まったことで、同社の株価も下がる。株価が下がれば自らはクビになるかもしれない。そんな状況で、たとえパフォーマンスだったとしても、そういう思いやりのある行動が取れることに、素直に感激した記憶があります。

 この本のプロローグにこんなエピソードがありました。(私の意訳・要約です。あしからず。)

**

 ディズニー社史上でもっとも大きな投資を行ったビジネスは、上海ディズニーランドをつくったことです。日本円にして約6,000億円。中国当局と18年間の調整を経て、私自身、40回の出張をして直接陣頭指揮をとったブロジェクトです。

 ついに迎えたオープンの日。それはそれは特別な盛り上がりで、中国のみならず世界中からVIPやマスコミが集まり祝福ムードに溢れていました。そこに突然、一つの悲しい報告が届きます。アメリカのディズニー・ワールド・リゾートで「2歳の子どもがワニに捉えられ、池の中に連れて行かれて行方不明になった」のです。ディズニーのこれまでの歴史で起こったことがない痛ましい事故です。当然、大きなニュースになって、即座に世界中に流れました。

 どうするべきか。私は上海のことに集中し、その事故のことはスポークスマンに任せるというのも手でしょう。でも私はそうはしたくない。このあと、オープニング・セレモニーが控えています。それでも、その事故にあった子ども、レーン君の父親に直接電話をかけると決断しました。こういうときこそ、CEO自らの言葉で語るべきです。

 父親が電話に出ました。なんと言ったらいいか、言葉が出てこない。でも、私自身、息子の父親であり、孫の祖父でもあり、胸が引き裂かれる思いであることを話し、精一杯の哀悼を伝えました。そして、こう言いました。
 「できることは何でもします。いつでも連絡を下さい。」
 私個人の電話番号も伝えました。
 同僚の弁護士からは「会社の不利になることは言わないように」と釘を刺されていました。にもかかわらず、私はいささか踏み込んでしまったのかもしれません。

 レーン君の父親の返事はこうでした。
 「約束してくれ。息子の死を無駄にしないでくれ。絶対に、だれ一人、他の子どもを同じ目に合わせないでくれ。」
 父親も、受話器の向こうで母親も嗚咽している声が聞こえました。

 誓って、電話を切りました。そして、慟哭の涙を流しました。妻が寄り添って抱きしめてくれました。

 その後、スピーチをするべくステージに向かいました。上海の高官が「ワニのニュースの話は一切するな。とにかく明るく笑っていてくれ」と言いました。努めて、笑顔をつくっていました。

***

「その日は、とても幸せな日でした。でも同時に、ぼくのキャリアの中で、最も悲しい1日でした。」

 ぼくはこれを読んで、やはり「アイガーはそういう人なんだ」と感じ入りました。約15万人が働く会社のトップでである以上、ただ情熱的で人間味溢れていればいいというものでもない。戦略を立てたり、理性的だったり、「勝つ」ための判断ができる人でもあってほしい。でも、「いざというとき」に、こういう行動を取れる人物がトップであるということ、またそういう人物をトップに据える組織に感銘を受けました。
 スティーブ・ジョブスもジョージ・ルーカスも自ら作り出した資産を託し、「この人しかいない」と市場からも評価され、ずっとCEOの任期を延長されてきた人物。納得がいきました。何かと批判されている資本主義やアメリカ企業だってわるいことばかりじゃない。むしろアメリカ企業の強さは、利潤を追求するための効率や生産性を保ちつつ、究極にはこの人間的な部分までをもシステムの中に取り入れることに成功していることにある。畏怖と希望を感じます。

 一方で、これは大企業のトップだから美談に感じがちですが、ごく「あたりまえ」のことでもあります。自分のビジネスで事故が起こったら、トップが直接謝った話というです。でもこの話が心に響いたのは、大企業ゆえこの事故を「たった一人」の被害として「処理」する選択肢があるにも関わらず、それをしなかったからです。使命感と、責任感、そして勇気を見せつけられている。

 「たった一人」ではない。その親からすれば人生の全てです。その悲しみに想像力を持って寄り添う。どんなに偉くなろうと、「あたりまえ」のことをすればいい。そう鼓舞されました。

 冒頭で書いた「ざわざわする心」は、「家族やぼくが感染しちゃうんじゃないか」という不安からきてる部分は実は少なくて、このような「あたりまえ」を見失ったまま、人類が地球で存在感を増し、かくも生態系の均衡を破るほど膨張しつづけてきたことへの気付き、からきています。「これまで」を、「これから」も続けていいものなのか。分からなくなっています。だからリーダーの威丈高でもっともらしいスピーチもスッと入ってこない。決断だけが次々なされてはいるようだ。後戻りもしない、できないという重い「くうき」だけが停滞前線のようにずしんと居座り、気が晴れない。

 人間は慣れるものです。ぼくもこの生活がつづけば、それが当たり前になって、日々感染者数がニュースで報告されても、交通事故の死者数と同様に「気の毒ね」くらいしか感じなくなるでしょう。そう書くと冷酷な気もしますが、状況が変わらない以上、あえて想像力遮断をすることで自分の精神を落ち着ける免疫作用だともいえる。慣れは、弱みであり、強みなのでしょう。それでも、いまここで想像力を失っていく自分に無性に腹が立ちます。あたりまえであるべきことが、そうじゃなくなっていくことが、悔しい。

 そこで、ここでじっくり一度立ち止まるのはいい機会だ。「あたりまえ」を見つめ直そう。そう決めました。
 大きく息を吸って吐けることのありがたみ。直接人と会って顔を見て話せることの嬉しさ。新緑の清々しさ。綺麗な夕日を見たときの感動。大きな木の下にいるときの安らぎ。自分で衣食住を成り立たせることの大切さ。困っている人、苦しんでいる人がいたら助けなければと思う気持ち。いつかは誰にもわからないけど、一日一日死に近づいていて、永遠の別れを前提に生きているという命の大切さ。

 そのどれもが、とうの昔からあったことだし、何も新しいことじゃない。だけど、ぼくたちはそれを尊いことと感じ、直感的にこの身体はそれらを「美しい」と思うようにできている。膨らみ、垢にまみれた強欲を削ぎ落として、これからの行動はそういう赤裸々な衝動を心構えの芯に据えたい。

 アイガーが来日して全従業員の前でスピーチしたとき、会場からの「休みの日は何をしたいですか?」という質問に対して、「子どもたちと過ごしたい」と答えていたのも、すごく印象的でした。ごくごく自然な、「あたりまえ」な答えでした。でも、会場は笑っていました。

 たとえば、家族に一つずつ無人島が与えられ、それ以外とは全てオンラインでつながる。そんな将来が来てほしくもないし、来るわけがない。人が集いたいという欲望は、どんな時代だって変わらないし、生を充足するには、他者がなくてはならない。
 己の寿命よりはるかに長い期間に及ぶであろう人類の危機。そのはじまりを目の当たりにする運命になった世代として、この状況を楽しく生き延びたい。しずかに、しなやかに。それでいて、しぶとく。そのためにも、目に見えぬ他者も含めた、さらには人間だけではなくて動植物をひっくるめた、この世界への想像力を鍛えることなのだと、自らに言い聞かせています。

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 意味を考えず そばにおく/2020年2月


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先月のお便りで千葉が書いたように、年末に千葉が金沢まで来て、ぼくの家に遊びにきてくれました。はなれのこたつに入りながら、だらだらと夜遅くまで杯を傾けながら、これからの人生を語り合いました。遠方から訪ねて来てくれることは何より嬉しく、そして一緒にこの活動を通して、彼とこの先も共に走って行けることを心強く思いました。
 彼は今回、マンガ『キングダム』の全56巻をスーツケースにぎっしり詰めてきました。以前、彼の家で勧められ、息子がハマって途中だったからです。長期レンタルしてやるから「おまえも読め」といわれていたので、年末年始の課題図書になりました。息子は大喜びで、2週間ほど寝食忘れて読みふけっていました。小学5年にはまだ早いところもありますが、面白いそうです。
 『キングダム』は中国の秦国ができるまでの諸国の争乱を描いた一大スペクタクルで、秦国の下民から成り上がる主人公の成長を描いています。ずっと戦争ばかりしていますが、息もつけないスリリングな展開と、どの登場人物にも感情移入してしまうリアルな描写で、ぼくも夢中になりました。

 ある秦国の内乱の場面。若き王の嬴政(エイセイ)は戦争によって各国を征服し、「中華統一」を成し遂げ、国民の平等と法治国家を実現すると高らかに宣言します。それに対して、No.2として若き王の首を狙う文官、呂不韋(リョフイ)が異を唱えます。それまでにどれだけ多くの人民の命が犠牲になるのか、そして、統一など幻想で、復讐の連鎖が起こり、この世界から戦争が無くなりなどしないと反論するのです。では呂不韋はどうしたいか。彼は武力の代わりに、人類最大の発明であるお金、つまり自由経済によって、争乱の世を終わらせるのだと主張します。
 二人とも、平和を実現したいというビジョンは一緒です。しかし、アプローチが違う。千葉がぼくに読ませたかったのは、「おまえはどっち派だ?」と議論したかったからだといいます。むずかしい。かといって「どっちも」といっては議論にならない。



 独立数学者の森田真生さんの『数学の演奏会』というレクチャーが、金沢の隣町にある西田幾多郎哲学館で行われるというので、息子と行ってきました。数学の授業ではありません。なるべく数式を使わずに、一般人にもわかりやすく、これまでの偉大な数学者の思考法や人生観から、生き方について学ぼうという内容です。
 数学者って、どんな人か。レクチャーをとおして、その見方が180度変わりました。数学者と言えば「難問を解ける賢い人」と思っていましたが、逆だというのです。「分からないものに、関心を払いつづけ、付き合い続けること」こそが、数学者には必要な資質だというのです。
 子どもが少ないからか、森田さんから息子が当てられました。
「2−4は?」
 背伸びして息子は「−2」と答えました。理由を聞かれると、「2から2をとると0になる。そこから2さらに引くから」。森田さんの想定どおりの答えだったのでしょう。「では、リンゴが2個あって、4個とると、そこにはマイナス2個があるということだよね、マイナス2個って何?」と返されます。そこで行き詰まる。息子だけなく、会場全体がそんな雰囲気です。

 「みなさん、数字は古くからありますが、実は16世紀まで、2―4=0だったんですよ。」と森田さん。ざわつく会場。それまで、数字は「数を数えるためのもの」でしかなかったからです。ただ、マイナスの数字は、概念としてはあったそうです。「4を足したら2になる数字」が「マイナス2」。計算上、そういう数字はありえる。だけど、それが何なのか、実感としてわからない。ずっと、そういう状態だった。
 そこに、ジョン・ウォリスという数学者が表れて、数直線というものを提唱します。数直線が「発明」されて、負の数の世界が一気に拓けた。「東に2歩、西に4歩行ったら、いまどこにいるか。」それを表すのには、「―2」があると便利です。数は「個数を数えるもの」ではなく、「位置を示すもの」にもなる。新しい世界が拓けた瞬間でした。

 「数学は、意味から入らない。意味の了解はあとからやってくる。計算のように、規則を先に走らせるのです。」

 規則は、一般的には人間を束縛するものだと思われています。しかし数学においてはそうではない。引き算が負の数を生んだように、規則に従いつつ、意味を考えずに計算を拡張することが、新しい世界を拓くというのです。そしてウォリスの数直線のように、意味付けは後から行われる。一方、自由というのは、世界を拓かない。例えば「自由に踊ってください」と言えば、たいていの人は同じパターンの繰り返しになるのだそうです。規則がないにも関わらず、結局は、同じ世界に頓着する。
 目から鱗でした。要は、「一度意味を考えることを停止して、計算だけしてみる。不可解なものがでてくる。それに関心を集めて、やめないこと。それが数学者」だというのです。
 虚数も、同様の過程を経たそうです。二乗すれば「-1」になる数。いまでは数学のみならず科学の分野でもなくては成り立たないこの数も、有用性が見出されるには、実数と虚数の両者を統合する複素数平面が発明されるまで、長い時間がかかった。

 対立する両者を統合する世界。「根柢」という言葉で、森田さんは哲学者・西田幾多郎の言葉を引用します。

 「西洋文化によって、東洋文化を否定することでもなく、東洋文化によって、西洋文化を否定することでもない。又そのいずれか一つの中に他を包み込むことでもない。却って従来よりは一層深い大きな根柢を見出すことによって、両者ともに新しい光を見出すことである。」

 先ほどの嬴政と呂不韋の対立。激しい方がマンガとしては面白く、実際そうだったのかもしれません。でも、どちらかを滅ぼしたり、従えさせたりするのではなく、分かり合えない他者とそのままつきあい、やがて、それを踏まえた「大きな根柢」を見出せるか。数学者の姿勢は、示唆に富んでいます。

 世は2020年。秦国の建国から約2800年。現代は、法治国家もでき、経済が世界の基幹システムとなっています。嬴政、呂不韋のそれぞれのビジョンが混ざり合っている状態。それでもなお、対立はありますし、完全な平和ではないでしょう。
 戦乱ではなく、平和の方がいいに決まっている。古くからの人類の願いが、大きな根柢の発見によって成し遂げられるのか。どうやら、理解できないものを拒絶したり、排除したりするのではなく、計算のようにそばにおいて、「ただやっているうちに、なんかみえてくる」過程を経る必要があるようです。
 やたらと成果をすぐに求めたり、ルールに則らない者を正義を盾に糾弾する。今日の社会は、「意味の分からないもの」に、寛容になれているだろうか。そうでないとしたら、平和からは遠ざかっているのかもしれない。と、森田さん、西田幾多郎先生から学びました。
 とはいうものの、いろいろなことに反発したい自分もいるわけで、まだまだぼくには高いハードルのようです。まずは視点を変えてみよう。見るべきものは「先端」ではなく、「底」なんじゃないか。最近そう意識するようになりました。千葉からの問いかけに、考えさせられている今日この頃です。次回は小木曽と一緒に、金沢マラソンに来るそうです。

hTrlrTUH.jpeg西田幾多郎記念館にて

 二度目の白山と地球への信頼/2019年10月

 石川県と聞いて思い浮かぶ風景といえば何でしょうか。兼六園や金沢城、最近では金沢21世紀美術館だったりが主流でしょう。でもぼくはそれよりも、白山(はくさん)の存在がこの地域にとって大きいのではないか。最近そう感じます。

 霊峰白山。開山は717年。今から1302年も昔。最初は一人の僧侶泰澄によって開かれ、以来ずっと信仰の対象になってきました。富士山と立山と一緒に日本三大名山の一つです。とはいえ、富士山のような象徴的な三角形ではありません。いくつもの峰が脈々と連なる連峰です。遠くからみると水平方向に平べったく広がり、波のようです。前後にも山並みがいくつも重なっていて、手前の濃い緑色が奥に行くほど藍色になり、さらには空の色に近づいていきます。空と海の境界は一本の線ですが、山と空は一番奥で溶けあう。そんな風景を小さい頃から見て育ちました。ぼくにとっての山の印象とは、大地を這いつくばって連続的にダラダラと延びながら、空とつながるもの。

 空が澄み渡った快晴の日だけ、山並みの一番奥の一番高いところに白くツンと飛び出す峰、御前峰が姿を現します。山頂です。標高は2,702m。めったにお目にかかれません。それ故ありがたみがあり、見えた日は清々しい気持ちになり、神々しい佇まいに自ずと畏敬の念を抱きます。

 そんな白山、ぼくは登ったことがなく、ずっと気になっていました。ようやく一昨年と今年、妻と一緒に息子と長女を連れて登りました。白山は、がんばったら、子どもでも登頂できます。それがまたすばらしい。途中心が折れそうになっても、声をかけたり、お菓子をあげたりして、背中を押し続けます。抱っこはできません。後戻りもできません。鼓舞し、前に進ませるしかない。親の力が試されます。一昨年は長女がまだ年中で不安でしたが、小学校3年の息子とともに、簡単ではなかったものの、なんとか登りきることができました。

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 行程は1泊2日です。1日目は標高2,000m付近にある南竜山荘を目指して6時間ほど、高さにして約740m登ります。山荘につくのは14時くらい。早めの夕食をとり、20時には寝て、朝4時に起きて出発します。西に沈んでいく紅い月を初めてみました。降り注ぐ満天の星を見ながら夜道を歩いていくと、次第に空が白々と明けてきます。最初の目的地はご来光を眺めための展望台。腰を休めながら、太陽を待ちます。舞台が始まる前のような高揚感で気持ちが昂ります。やがて、空を真っ赤に染め、雲海をかき分けるように太陽が昇ってきます。自然がつくる壮大な演出。「ワア〜」っと集まる人の口から感嘆の声が漏れます。朝日で一気に開ける視界。温かくなる身体。光のありがたみに感動し、力が湧いてきます。きっと1300年前の泰澄も同じ、いやより過酷な分、もっと大きな感動があったに違いありません。
★IMG_6518.JPG山荘まであと少し
★IMG_6613.JPGご来光
★IMG_6667.JPG
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 展望台から2時間ほどさらに登ると白山室堂に着きます。ここまでくると頂はもうすぐ。悠然と目の前に聳えています。
まるで「ここまで来い」と語りかけてきているよう。鳥居をくぐって目指します。子どもは、分かりやすいゴールがあるとすこぶる頑張れる。今まで何度も「もう疲れた」と根を上げていたのに急に元気を取り戻し、ぼくらの先をどんどん進んでいきます。軽い身体のアドバンテージがここへ来て発揮され、地を這う大人を尻目にフワフワと上昇気流に乗る綿毛のように舞い上がっていきます。10分ほど早く彼らは登頂。瑞々しい若い力を見せつけられ、実に頼もしい。

●IMGP2487.JPG室堂から山頂を望む
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 山頂からの景色は格別でした。真っ青な空に身体が包まれ、美しい山々と雲が眼下に広がります。「ここまで誰の助けもかりず、自分の力だけで来たね。よくがんばった」家族で得るこの達成感と景色。毎年来たくなるのも納得です。

★IMG_6772.JPG山頂にて

 登山はまるで、タイムマシンです。登るにつれ、文明がなくなっていき、時代がさかのぼります。電気もガスも車もない。トイレも汲取式。水も必要最少限しか使えない。毎日の生活がいかに豊かで恵まれているか、つくづく実感できます。一方で文明が剥ぎ取られた、何もないむき出しの自然を、ただただ美しいと感じることもできる。便利なテクノロジーに囲まれ、現代の生活に慣れてしまったぼくらに、その感情がなおも残っている。その感情は、きっと重んじなくてはいけない。この世界を、生きることを肯定する感情だからです。道中の綺麗な花や蝶。力強い滝、太陽の力。美味しいせせらぎの水。感動とともに、どれも愛おしく思えてきます。生命の源には、この自然がある。そしてそれを人は美しいという感情で受け止める。登山は、地球への信頼を回復する行為なのですね。そして、やはり地球は人間だけのものじゃない。
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 不思議なほど、登山道にはゴミが落ちていません。行き交う皆が挨拶を交わし、時に我が子たちを励ましてくれます。ここでは、「大事なこと」が共有されている。1000年以上経っても変わらない思いがある。子どもたちがこの体験で、自然を敬い、日常に感謝し、そしてこの地域に愛着を持つきっかけになってくれたら嬉しいです。そして、頑張る先には絶好の景色が広がっていることも。来年はいよいよ、次女を連れて家族全員でいかねば。

 千葉学さんと語る台湾デザインの魅力(後編)/2019年9月

 千葉先生から語られた、台湾で出会った魅力的なデザインには「既にあるものを活かしつつ、自らプロデュースする」ことが共通していました。

 例えば、以下のものです。
・ 元アメリカ駐留軍のためにつくられた住宅地を、カフェやショップに改修して、街をプロデュースしたプロジェクト(Fujin Tree Group)
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・ 衰退しつつある昔ながらの陶磁器工場をミニ博物館やまちづくりの拠点に再生するイノベーションプロジェクト(THE SHU'S POTTERY [Cocera])
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・ 台湾にある魅力的な建築や空間を楽しむためのイベントの企画や情報発信のメディア(見学館)
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風景が一転するような再開発ではなく、既存のものに、少しだけ手を入れる。「こういう街だったらいいな」という素朴な思いから行動し、実際につくったものばかりです。先生の言葉を借りれば「街を自分たちのものにしていくデザイン」。
街への愛着を育む好循環が生まれています。

ほかにも、
・失われてゆく活版印刷の技術で名刺を作ることができるポータブルな「活版印刷機」
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・鎖骨骨折の手術の際に、皮膚を痛めない「金属プレート」
・骨伝導技術を応用して、水泳しながら音楽を聴けるプロダクト
もあるのだとか。

「デザインをするモチベーションの中心に『人』がいる。台湾のデザインに触れると、どこか温かい気持ちになる」
先生のこの言葉、すごく心に残りました。

 街にせよ、人にせよ、既にある物語に対して新しく何かをするときに、その「接続の仕方」にデザインの姿勢が現れます。
 例えば、大規模再開発は、一度その土地をリセットし、過去の来歴と切断するという暴力的なものです。ここで語られたものは、それとは反対の、背景にある物語に「優しく」接続するものでした。だから「温かい」のでしょう。

 平均的な消費者を想定し、標準的な商品を開発するマスマーケティングは、効率的であるがゆえに場所を問わず広がり、既存の文化を飲み込んでいきます。そんな抗えない経済原理の副作用としてでてくる、文化的な価値が失われるという危機、例えば伝統的な産業の衰退や昔からある風景の保存などに、個人や小さな団体の活動が切実に向き合っている。その状況を羨ましく思いました。

 東京の一極集中が叫ばれています。地方に生きると決め、住んでいる身としては、わからなくもないんです。地方のまちづくりが、短期的な集客を主眼にするあまり、外から話題性のある産業を呼び、どこにでもある建物やお店をつくり続けている以上、「この街に住む理由」がないからです。都会の豊かさを招こうという姿勢では、地方に人は残ろうとはしない。
そんな中、台湾のデザインにある「街に主体的に関わって、既存の価値を活かして豊かさを追求しよう姿勢」は、示唆に富んでいます。

 先生と金沢を一緒に歩く時間がありました。ぼくが普段何気なく素通りしている街並みも、あちらこちらに視線を向け「ここ面白い」と指摘してくれて、「なるほど」と気付かされることが多くありました。建築家と街を歩くと、その魅力に気付かされ、前向きな気持ちになれて、とても楽しい。

 レクチャーの最後、「建築家が社会に必要とされているのか」という話題にもなりました。先生は東北の復興プロジェクトにも多く関わってらっしゃいますが、その現場でそう考えさせられることも多くあったのだとか。でもぼくは確信しました。
 建築家の、街がもつポテンシャルを見抜き、長期的な視点から街の将来を考える姿勢は、見失いがちな「この街に住む理由」に手がかりを与えてくれます。千葉先生のような建築家は、いや建築家こそ、地方には必要なのです。

 そして、逆に建築家から面白がられる街でありたい。自らが街に働きかけ、協奏できるか。街も、その小さな挑戦を歓迎する寛容さを持ち合わせているか。自らに問いかけつつ、行動に移そうと決意しました。台湾のデザインの魅力に触れ、建築家の価値を見出す視点の面白さを実感し、そしてわが街に振り返って考える、とても有意義な時間となりました。

当日のレクチャー動画はこちらで公開しています。

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 千葉学さんと語る台湾デザインの魅力(前編)/2019年8月


「台湾のデザインがすごいんだよ。」建築家で東京大学大学院教授の千葉学先生が興奮気味にお話されていました。千葉先生はぼくの大学時代の指導教官で、久しぶりに東京で再会したときのことです。

manabu_chiba.png千葉学先生 Photo_Wu Chia-Jung

大学時代、先生にはほとんど褒められたことはなく、建築の設計課題や卒業論文への指導は徹底的に私が提案するアイデアの「物足りなさ」を指摘された記憶があります。例えば、建築学科に入りたての2年生のときの最初の課題で「表参道の街路に置く椅子をデザインする」という課題がありました。ぼくのデザインは120cmの立方体なのですが、切れ目が入っていて、小さなブロックに分かれて様々な大きさの椅子が取り出せて、いろいろな使い方ができる、というものでした。それを見て先生は「いろいろできるということはさ、何にもできないということなんだよ。」とポツリ。それまで一生懸命に徹夜で作った段ボールの椅子が、一瞬でツマラナイモノに見えてきました。

「デザイナーには、いろんな選択肢の中から一つを決定する責任がある。そこから逃げてはいけない。」デザインに対する基本的な姿勢についての指導でした。たった一言ですが、その教えは強烈で、今もなお、ぼくは大切にしている言葉の一つです。自分も陥った「フレキシブルなデザイン」。よくあるあの手に共通するどこか中途半端な感じは、決定を下していない弱さに起因していたのでした。さらに、実際のところは、想定していたほど「モードチェンジ」は億劫で頻繁にはなされなかったりします。

もう一つ印象的だったのは、安直に奇抜な造形をしようとする姿勢にも厳しかったことです。建築家といえば、例えばガウディのように「自分しかできない」デザインをする人、そんな偏ったイメージに憧れて入ってきた学生は、ぼくも含めて、もっぱら個性を出そうとするわけです。そんな提案に対して「なんでこうしたか?」を説明させられます。それが社会になぜ必要で、歴史的な文脈からも合理的であるといえるのか。単なる自己満足に陥ってないか。中途半端な説明では許されません。建築は自分では作れない。多くの人が関わります。社会が納得して動いてくれないと、できないからです。しかし、それにおののいて一般的な巷にあるデザインに近くすると「面白くない」と一蹴される。また面白くしようとすると「なんで」と厳しく聞かれる。この繰り返しなわけです。それはまるで道場の稽古のようでした。ぼくにとって、その時間はとても貴重で、楽しいものでした。個性の表現という側面もありますが、それだけではアーティスト。デザイナーは社会でまだ見逃されている可能性を見出し、カタチにして、世界を少しでも豊かにする。そういう職業なのだと教えてもらったのです。その後、いろんな仕事をしてきましたが、ここで訓練された具体と抽象、あるいは合理性と革新性を往復しながら可能性を追求していく思考は、全てのベースになっている気がします。

そこへきて、台湾のデザインです。いまやアジア各地から応募があるグッドデザイン賞の台湾ユニットの審査委員長、つまりは台湾からの応募を審査するユニットリーダーを千葉先生は2016年度、2017年度と務められました。建築だけではなく、空間デザインやまちづくり、プロダクトやソフトウェアまで、台湾のデザインを浴びるように見て、「これから台湾デザインブームが日本にも来る」と感じたそうです。先生は決してお世辞をいう方ではないので、感心半分、嫉妬半分という気持ちで、では「台湾デザインの魅力」について語ってもらおうと、金沢でそんな一夜を開催し、ぼくが聞
き手を務めました。

台湾に行ったことのないぼくの印象は、あの高い構想ビルや雑多でエネルギッシュな飲食街という「るるぶ」的なものです。それはそれで楽しそうですが、先生の口から語られたものは、まったく別の価値でした。
例えば、誠品書店。六本木ヒルズが再開発されたとき、あの交差点にスターバックスと一体になった蔦屋書店ができました。これまでの「本屋」のイメージが覆された記憶がありますが、先にそのモデルはこの誠品書店にあったと言われています。本を販売するための効率的な空間ではなく、本と過ごす豊かな時間をそのものをデザインする。それは台湾にはブックカフェがたくさんあり、日常生活において読書が身近にある。そんな本文化が生んだものだそうです。

例えば、文房チャプターという私設図書館。もともとは日本当時時代に日本の文官が住んでいた木造の家を、当時の趣を残すように改修し、小さな図書館にしたものです。しかもこの図書館は、完全予約制で、ひとつの時間枠で利用できるのは十名程度。広い庭と奥ゆかしい木造家屋の空間に世界中の本が並んでいて、まるで「誰かの書斎に潜り込んだ」という没入感があるそうです。
42ad8d617d3802ce_S2.jpg文房Chapter(前/VVG Chapter)

書店と図書館は似て非なるものです。書店は消費を目的としつつ、世の中の関心に寄り添うように本を選び、並べる。興味関心が移ろえば変えて行く。本屋の本棚はまるで消化器です。一方の図書館はストックを目的としつつ、取り出しやすいように整理して本を並べる。図書館の本棚はまるで脳で、その人そのものが現れます。

台湾は、それぞれのその特徴を活かした豊かな本の空間を生み出している。先生の話を聞くにつれ、台湾のデザインの奥深さと魅力が、自分の想像していたデザイン観とは違うところにあるのだと気付きました。
(後編へつづく。当日のレクチャー動画はこちらで公開しています。)


 「おりょうりえほん」の衝撃/2019年7月


ゴールデンウィークに、東京から親友一家が我が家に泊まりにきてくれました。東京からUターンをして5年経ちますが、なおもぼくら家族のことを気にかけてくれて、足を運んでくれるのは本当にうれしいものです。

親友はUターンする前、「おまえに公務員は合わないからやめとけ」と猛烈に反対してくれたこともあり、彼の言葉どおり、日々苦しみ、もがいてるぼくを気にして、励ましにきてくれました。優しさが胸にしみました。

彼の妻、小宇根さんはクックパッド社で働いています。そして「今度、このサービスリリースするの」と教えてくれました。その名も「おりょうりえほん」。自ら企画・プロデュースして、ようやく発表するところまでこぎ着けたそうです。

それは、クッパッド社として提供する子ども向けの食育サービスで、入会すれば、毎月一冊ずつ、食をテーマにしたカワイイ絵本が届くというものです。いわば料理にまつわる通信教育。月額は500円。しかもクックパッドの有料会員(300円/月)にもなれので、実質は月額200円というお得感もあります。

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毎月テーマは変わります。例えば、「大根は全部食べられる」、「たまごが固まる不思議と茶碗蒸しの作り方」、「家族でつくる親子丼」などなど。食欲がそそられ、親子でキッチンに立ちたくなります。

サービス開発に至るまで、100組のモニター親子の声に耳を傾けたそうです。そのためか、子どものやる気を保つために進捗が目でわかって達成感が得られるシールが付録でついていたり、絵を描く作家さんも毎月変わるので常に新鮮な印象だったり、大人も目からウロコのウンチクも盛り込んでいたり、にくいまでに随所に工夫と演出がなされています。

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サンプルの絵本をみながら、お世辞抜きで「すごい」と感じ入りました。小宇根さん、出会ったときから只者ではないと思っていましたが、ついにとんでもないものを世に放ったなと。嫉妬も覚えるくらいです。

ぼくも育児と家事に日々向き合っていますが、絵本を読んであげたくても、ゆっくり時間をなかなかとれない、というのも現実。買い物行って、ご飯つくって、お風呂入れて、歯を磨いて、寝かしつけて、そこからお皿洗って、お洗濯して。一連のルーティンを回すので精一杯です。余裕がない。頭では「子どもと一緒に料理をできたらいいな」と思っても、親だけでやったほうが早い。そのあたりのモヤモヤ、この絵本が助けとなって、親子の料理の時間を整えてくれます。

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いわゆる食育や料理は、学校では家庭科の範疇で、いわゆる「主要科目」ではないものの、いま振り返ると、調理実習の時間の方が、より記憶に残っているのはなぜでしょう。そしていまになってもっと真面目に取り組むべきだった、と後悔しています。算数の計算は電卓がやってくれますが、料理は人間自身がまだまだやらなきゃいけない。

ダライ・ラマ14世の言葉で、「愛情」について語った言葉があります。

「どうすれば愛することができるようになるか、きみは知りたがっていることでしょう。でも「こうすればいい」というような決まったやり方はないのです。わたしの考えでは、これは料理を作るときとちょっと似ています。どんな料理を作るにしても調理方法はちがいますし、上手に作るためには勘が必要です。まずフライにしてから香辛料を加える料理もあるでしょうし、少しの塩をふりかけてから調理する場合もあるでしょう。
おいしい料理を作るには、いろいろなことを考える必要があるのです。人間とのつきあいもそれと同じです。『今すぐおたがいにやさしくなり、思いやりを持つようにしましょう』と言うだけでは十分ではないのです。わたしの場合いちばん効果的なのは、相手の気持ちになってみて、その人がどんなふうに考えているか、どんなふうに感じているか、どのように苦しんでいるかを想像してみることです。」(*)

この言葉のように、料理をする上では、食べる人という「他者」の存在があって、そこには思いやりが不可欠です。
たとえ、食べるのが自分であってもです。
しかも、食べるという行為は、内在的に生きることを肯定している。
IMG_0905.png  「大根は全部たべられる」

前向きに生きること。愛情をもって他者を思いやること。子どもたちが料理を通じて小さい頃からそれらを楽しく体得できるとしたら、なんて素晴らしいことでしょう。 しかも、続けていけば小学校高学年の頃には親の帰りを待たずとも、自分で夕食を準備できるようになるはずなんだとか。なんという親孝行。

いわゆる「バリキャリ」とママさんを両立させている小宇根さん。育児だけを、仕事だけをやっていたら、このサービスは世に出てこなかったのではないか。
この4年間、育児半分、仕事半分の生活に取り組んでいる身のぼくには、とても励まされる出来事でした。あっぱれ。感服です。

IMG_0906.png  親子丼の作り方を教える一冊の一コマ

*『ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ?なに?』/ベッティーナ・シュティーケル著、畔上司訳/主婦の友社/2003

 花と建築/2019年4月

春になって、金沢でも花が咲き始めました。梅、桜、菜の花、椿、たんぽぽ。鉛色の曇天が続く長い冬の空が割れて、青い空が広がる日も増えてきました。天気が悪い季節が長い分、喜びもひとしおです。
 子どもたちと散歩に出かければ、娘たちは必ず花があると足をとめます。ときどき、花を拝借することもあります。保育園の登園時であれば、そのまま持っていって、先生にあげたいのだとか。

 ただ、子どもたちが花を摘むと思い出す言葉があります。かつて、建築家の白井晟一さんと原広司さんが対談したときに、原さんが「道端に咲く花を子どもが摘もうとしたとき、何と言って止めればいいか」という質問を白井さんに尋ねたとき、白井さんはこう応えました。
 「花は、みんなのものであることと、また、花をさかせるまで、どれだけのことをしてきたか、その尊さを教えることだな。」

 もう一つ、建築家が花について語った言葉があります。現代建築の大家、前川國男さんが部下に尋ねました。
 「君、花はなぜ美しいのだとおもう?」
 スタッフは返答に悩みましたが、前川さんの答えはシンプルでした。
 「それはね。花はすべて自分の責任で咲いているから、美しいんだよ。」
 花は、「美しい」と思われるために咲いているのではない。誰かにそうしろと言われたから咲いているわけでもない。純粋で自律したプロセスだから、美しい。

 この大建築家たちの言葉、花を語っているようで、実は建築について語っているのではないか。そう深読みしたくなります。新しい建築も突然、街に出現します。それが美しく、ずっと残るためにはどうしたらいいか。
 花と同じようにみんなから愛されることはもちろん、たくさんの人の貢献の末にできあがっている「尊さ」を街のだれもが共有していること。そして、作り手の確たる責任の上で建っていること。それが必要なのだと。建築が花のような存在になったら、街はどんなに素敵になることでしょう。

 金沢駅の周辺では、新幹線開業以降、ホテルの建設ラッシュが相次いでいます。でも、残念ながら、そのほとんどが「花」とはいえない、全国のどこにでもあるデザインの建物です。一方で、そのために、金沢らしい個性的な建築が老朽化を理由にどんどん解体されていっています。寿命と言えばそれまでですが、みんなの記憶
 にある街のシンボルが消え、ツルツルのホテルばかりになる街に、危機感を覚える今日この頃です。
 今日は息子と京都に旅行に来ました。どうしても行きたかった前川國男さんが設計した往年の傑作、1960年にできた京都会館を尋ねました。
 実はこの建築、老朽化しても壊されることはなく、香山壽夫先生に改修の設計が受け継がれ、2016年に「ロームシアター」としてリニューアルオープンしました。
 通りから入ると真ん中に大きな広場があり、それを囲うように建物が配置されています。蔦屋書店やスターバックスも新たに入店していたり、気持ち良さそうなテラス席を備えたオシャレなレストランがあったり、多くの観光客が心地よさそうに寛いでいました。脇には川が流れていて、桜並木が続いています。眼下を遊覧船が通っていきました。桜と川と、軒の深い屋根の水平線。その調和がとても美しかったです。この風景を、前川さんは「自分の責任」として作り出した、そういうことなのでしょう。
 新しさを吹き込みながら、魅力ある街であり続けるために、未来に何を、どう継承するべきか。さすがは京都。まちづくりのお手本を目の当たりにしました。

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 アエノコトのこと/2019年1月

あけましておめでとうございます。本年もご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

 石川県の奥能登地方には、「アエノコト」という古くから伝わる神事があります。「田の神様」と呼ばれる田んぼの神様を、冬に家にお迎えして、春先まで家にいてもらうためにお呼びして、また送り出す儀式です。各農家さんの家が、それぞれに行います。「アエ」は「もてなし」、「コト」は「祭り」を意味するそうで、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

 今回、機会があって12月のお呼びする儀式を見学させていただくことができました。神様を家にお迎えし、振る舞うために、お宅にはお魚、野菜、お餅など海の幸、山の幸、酒などそれはそれは贅沢な食事が用意されていて、準備ができたら神様をみんなで田んぼにお迎えにいきます。その日は冬らしい雪が降っていました。

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 田んぼでは、深々と頭を下げ、今年の豊穣を感謝する言葉を述べます。そして、「田の神様、どうぞ家に来てください」と声をかけ、宿るといわれる榊の葉を先頭に家に帰ります。

 田の神様は、目が見えないといいます。ですから家先の段差などでは「神様、段差がありますのでお気をつけ下さい」と丁寧に声をかけながら、招き入れます。家に入ると、あったまってもらうためにまずお風呂に入ってもらいます。

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 実際にお湯をはった湯船に、榊の葉を入れるのです。そのあと、食事を用意したところに榊の葉を立て、改めて感謝の気持ちを述べつつ、来年の五穀豊穣をお願いして、食事に供していただきます。そのあと、みんなもおすそわけにあずかります。

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 当たり前ですが、神様は誰の目にも見えません。榊の葉に声をかけながら、せいいっぱいのおもてなしをします。ドライな見方をすれば、アエノコトは、手間ひまをかけた壮大なパントマイムです。
 でも、目に見えないものだからこそ、畏敬の念が失われず、起源もわからないくらい大昔からこの祈る行為が続いているのだとも思えました。お米づくりは、自然の営みへの感謝の念とともにある。その感謝の気持ちを捧げる対象として、目に見えない田の神様の存在があったほうが、人間は気持ちを整えることができるのです。2月には、家から田んぼに神様を送る儀式も行われます。つまり田んぼの作業が一休みする間じゅう、神様は家にいる。おのずと背筋が伸びるそうです。
 この儀式、もし神様が何かしら具現化されたら、むしろ冷めてしまうでしょう。空っぽだからいい。意味があるかもわからない。でもやり続ける。そんな人間くささに惹かれました。

 哲学者の野矢茂樹さんが編著の『子どもの難問』という本があって、いろんな哲学者らが、子どもが投げかけそうな素朴な疑問に真剣に応えていくというとても面白いものなのですが、その中で、「芸術はなんためにあるの?」というテーマで山内志朗さんがこう書いています。
 「人生は、未来に背を向けて後ずさりしていくことと似ている。未来は見ることができない。背中にぶつかるものが、非難の石つぶてなのか、会場を揺るがす声援なのか、未来に進み、目にすることができたときにやっとわかる。今は見えないものを信じられるものだけが、未来に向かって後ろ向きに進むことができる。見えないものを恐れる者は一歩も未来に進めない。(中略)表現されない感情は名前と形を求めて暴れまわるのだ。業現せずにはいられない表現衝動、そこから芸術は現れてくる。表現されない限り、感情は名前を持たない。それは記憶の中に静まることなく、心を苛み続ける。だから芸術は必要なのだ。呪いも歌も踊りも大声も、人々に伝わり、流通する限り芸術と呼んでよい。」

 アエノコトも、まさに「表現することで、未来にむかうことができるもの」に他ならないように思えました。意味を先に求めず、行為が先にあり、過去への眼差しは、未来の信頼のためにある。そんな循環的な心構えに興味を覚える今日この頃です。皆様にとって、2019年が、よき未来でありますように。

 鈴木大拙館と家族2.0の話/2018年10月


 先日、東京から大学時代の尊敬する先輩が金沢に遊びに来てくれました。2ヶ月前に出張で独りでいらっしゃって、そのときに「今度は家族でね」と言ってくれたばかり。こんな短いスパンでまた来てくれるのは初めてで、とてもありがたく、うれしいことでした。
 ぼくの大好きな鈴木大拙館にお連れしました。金沢出身で、アメリカに仏教の思想を伝えることに貢献した学者、鈴木大拙さんを記念した施設です。建築は谷口吉生さんの設計で、大拙先生の思想と共鳴した空間がこれまたすばらしい。薄く水をたたえた「水鏡の池」が中心にあって、回廊と「思索空間」が周りに配置されています。それだけの「空っぽ」の空間なのですが、それが実に豊かなのです。池を静かにただ眺める。そのためだけの場所です。
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 空と庭が水面に映り込み、揺れています。小さな波紋が同心円状に定期的に起きているのは、池に密かに仕込まれた仕掛け。多くの人はそれに気づくことのないようなささやかな演出です。秋には落ち葉が浮き、冬は雪が水面に触れた瞬間に融けてなくなる。四季折々、いろんな瞬間がこの水面で起こります。時の流れがゆっくり感じ、自然と「正直な自分」が表れてきます。今、自分は何をしていて、何が大事なんだっけ。
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 「禅とは自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛からの自由への道を指し示す。言い換えれば、我々一人一人に本来備わっているすべての力を解き放つのだ、ということもできる」とは大拙先生の言葉。
 先輩と、そこで家族について話をしました。ぼくがUターンして公務員になって、育児制度を使って週2.5日の勤務を始めたことを気にしていたそうです。先輩はいま、シリコンバレーに本社がある誰もが知る世界企業で活躍する2児のママさん。しかもMBA取得にむけて猛勉強してるといういわゆる「バリキャリ」。ぼくが知る中で最も知的な女性の一人で、それでいて思慮深くて優しいというまぶしい存在なのですが、そんな先輩がどうしてぼくなんかの、役所務めで育児と家事をやるだけのこの地味な日々に興味があるのか不思議でした。が、形は違えど二人とも「新しい家族のあり方の模索」をしているということでは共通しているということが分かりました。
 ぼくはこの全国有数のコンサバな地域で、しかも固い固いお役所で、男性では誰もやったことがない、そして誰も後に続かない「仕事よりも育児と家事を優先する生活」をやっています。本人はあまり気にしていませんが、本心では「『男』が何をやっている」と賛同できなかったり、面白くないと思っている人も沢山いるでしょう。
 先輩は、仕事が中心なので家事と育児には十分な時間がとれません。そこでシッターさんを雇っているそうです。しかも外国人。保育園児の二人のお子様は家でシッターさんと大半の時間を過ごします。それが実に効果的で「いい」のだそうです。「親にいえないけど、シッターさんにいえる話が、子どもには沢山あるのよ。子どもたちは随分それに救われているみたい」。衝撃的でした。親と子の間に、一つレイヤーがあることで、家族がうまくいっている。
 しかも、煩わしい家事をしなくてもいいから、家でも精神的・時間的な余裕が生まれ、子どもとじっくり向き合える。なるほど。話をきけばきくほど、合理的な気がしてきました。大家族時代の一昔前はその役割を祖父母が担っていた部分があるわけだけど、都会で核家族の場合はそうはいかない。でもそのレイヤーはやっぱりあった方が子どもにとってもいいんじゃないか。ぼくはそのスタイルを「家族2.0」と呼ぶことにしました。
 先輩の子どもたちと我が子たちが会ったとき、不思議なくらい意気投合していることにびっくりしました。共感力が高いのでしょう、ザ・都会っ子も好奇心旺盛に田舎の保育園の園庭を走り回って、キャッキャ遊んでいます。愛情で満たされていることがすぐに分かるし、「シッターさんに預けられて親との時間がない子の寂しいかんじ」など皆無です。真っすぐ、伸び伸びした大らかさがある。あれは昔の偏見なのだと分かりました。
 「方向は違うけど、いまの社会では、嘉門君もだいぶ振りきれてるよ。」と先輩。とても勇気が出て、スッキリしました。もっともぼくの場合は2.0ではなく、1.1、いや0.9かもしれない。ですが、家族との時間を若いうちに優先できるスタイルがもっと普通になってもいいのではないか。そのためにもやってみて、その手応えを伝えていけたらいいな。余談ですが、先輩は今の会社に入って「やっと、『自分が普通でいられる』と思えた」のだとか。大学は建築学科だったので、いわゆる「男性社会」です。社会に出てからも、本人が望んでなくても目立つ存在になってしまう。ずっとどこか孤独で、遠慮したり、我慢したり、いろんな苦労があったのでしょう。一方で、今の会社は実にオープンでフェアで自由で、いろんなマイノリティがみんな生き生きしているのだそうです。気楽に自分が出せて、頑張れる。そして、そういう環境をつくれば、世界中から超がつく優秀な人材が自然と集まってくる。アメリカの最先端は、ほんとうに恐るべき吸引力を持っているのだなとつくづく感じました。人手不足を解消するために給料をあげようとか、勤務時間を減らそうとか、そういう話ばかりをしているうちは、まだまだ勝てないのです。「我々一人一人に本来備わっているすべての力を解き放つ」ことができるか。水鏡の池をみながら、それこそが大事なのだ。そう確信しました。
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 夜の訪問者/2018年6月

今月は富山県南砺市利賀(とが)村にある舞台芸術の聖地、"SCOT"を紹介させてください。"SCOT"(Suzuki Company of Toga)は鈴木忠志さんという世界的な演出家の巨匠がこの地で42年前に立ち上げた現代劇団です。

利賀村は富山県の深い山間部に位置した緑豊かな農村で、愛を込めてあえてこう表現しますが、「日本の古き良きド田舎」です。時代の変化に流されなかったのか、あるいは置き去りになったのか。日本昔ばなしの風景そのままに、山と田んぼ、クネクネの道、たまにポツポツとある民家。風光明媚。しかし人口は約500人の過疎の村です。
IMG_0574.JPG空と山と川★IMG_3464.JPG夕日がみたことのない色できれい
 そんな村の一画に、利賀芸術公園という野外劇場、稽古場、宿舎などがひっそりと集まっているエリアがあって、劇団員の方々が住み込んで日々稽古に励んでいます。そして、毎年夏に約1週間だけ「SCOTサマー・シーズン」と称される公演を行っていて、我が家はこれに、毎年行くのです。しかも『世界の果てからこんにちは』という、同じ演目を繰り返し観るのです。もはやこれを観ないと夏が終わらない、そんなことになっています。
IMG_0596.jpg森の中の野外劇場
 それほど、この公演を初めて観たとき、度肝を抜かれ、魅了されました。夕暮れになると、茅葺き屋根の待合所に、何百人という人が続々と集まってきます。全国津々浦々からの日本人だけじゃありません。ここは京都の有名観光地かと見紛うほど、欧米人も沢山います。東京からでは半日では済まない移動時間がかかります。それにもかかわらず、舞台を観にこれだけの人が訪れる。本当に国際的な「聖地」なのだと実感します。
★IMG_3483.JPGいつの間にか都会の駅のような人だかり
 待合所から野外舞台に向かうと、これまた素晴らしい光景が広がります。観客席はすり鉢状の半円形で、一番奥の高いところから入ります。山の中に用意された満員の人がひしめき合う居場所。都会のような熱気を帯びます。視線の先には黒い御影石が敷き詰められた舞台があり、小道具であろう椅子が並び、ただならぬオーラを放っています。背後には大きな池が黒い水をたたえて広がり、大きな樹々が覆いかぶさるよう枝を伸ばし、さらに奥には利賀の山がそびえています。「この村全体が舞台である。」そう感じさせると同時に、集まる人の息づかいと、それを吸い込むような自然が対峙しています。まるで現世と来世。その境界に舞台が位置していますから、劇が始まると、演者たちはまるで黄泉の国からの使者のようにも思えてきます。
★IMG_3499.JPGせり上がる客席。右の円の中心が舞台★IMG_3491.JPG舞台には椅子がポツポツ
 『世界の果てからこんにちは』は1991年に初演があって、戦中から戦後の日本の国家がテーマだそうです。「だそう」というのは、3回も観ているにもかかわらず、まだよく分からないからです。テレビドラマのように誰もが同じ感情の起伏へと誘導されるような、明快な一筆書きの展開ではなく、さまざまな場面が、断片的にパッチワークのように継ぎはぎされたかのような構成なので、人によって、また気分によって受ける印象が違うのです。感じるためには、受け手がその断片を頭の中で繋げていくことが求められます。ある人は悲しいと感じ、ある人は楽しいと感じるでしょう。そんないろんな解釈がありえる、寛容にして多様なもの、そんな舞台。だから、何度でも観たくなる。
★IMG_3507.JPG開演。池に浮かぶような演者★IMG_3602.JPG★IMG_3608.JPG
 でも、静かで難解で眠たくなるというのではありません。演者が昭和の歌謡曲『夜の訪問者』を大声で歌う場面や、目玉の何発も真上で打ち上がる大迫力の花火などがあって、刺激に満ちています。花火は火の粉に手が届きそうなくらい近くて、散った一つ一つが最後闇に消えていく瞬間まで見えます。その近さだと鼓膜のみならず、空気の振動が頬を振動させるのも初めて知りました。そして最後に空の焦げたような匂いがします。
★IMG_3668.JPG池から湧く花火IMG_0621.JPGIMG_3585.JPG頭上にあがる打ち上げ花火
 子どもたちが退屈するかというと、そうでもありません。連れてくるものです。花火はもちろん楽しみますが、間を置いて放たれる台詞の一つにゲラゲラと笑ったり、不思議な踊りに目を凝らしたり。分からないと諦めたくなるオトナよりも、直感的に楽んでいるようにもみえます。断片の間の空白を自らの想像で満たす。子どもたちはそれを元々はできるようです。親としてはその感覚こそ、大事にして、養ってあげたい。
★IMG_3496.JPG小さな子どもの観劇もOK★IMG_3678.JPG圧巻のフィナーレ
 高度経済成長まっしぐらの時代、世界を舞台に第一線で活躍していた鈴木さんがこの村に移ると決めたとき、世間やメディアは「鈴木は気が狂って山奥に閉じこもった」と評して総スカンをくらったそうです。しかし、経済まっしぐらの都会では作り得ない価値のある舞台をこの村ではできると鈴木さんは貫き、実際にそうなりました。それは、五感で、その瞬間にしか感じ得ない「圧倒的にリアルなもの」がそこにあるからだと、そう思います。昨今、一日にたくさんの処理しきれない情報がぼくの身体に流れ込むようになり、日々さらにどんどん増えていっています。でも、ほとんどはすぐに消尽してゆきます。一方で、この『世界の果てからこんにちは』はズシンと腹にくる何かがあるのです。自然に抱かれるような環境にいろんな人が集まって、指先からつま先まで身体の一糸乱れぬ美しい動きを捉え、歌や花火に空気の振動を感じ、共に喝采する。その興奮が、生きた記憶となって身体に居座るのです。そして、そういう記憶はまた再生したくなる。帰りの車では子どもたちが何度もリフレインして耳についた「きっと、きっとまた来てね。素敵な私の夜の訪問者」とサビの部分を復唱していたように、そう、また不思議と来たくなるのです。
★IMG_3503.JPG鈴木忠志さんの挨拶

 みえないものがみえてくるだけ/2018年5月

 岐阜県の飛騨市神岡町にあるスーパーカミオカンデの見学会に行ってきたときのことです。東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設にある実験装置。普段は科学者だけが立ち入れる実験施設ですが、年に数回だけ一般人が見学できるツアーが企画されていて、聞けば抽選の倍率は20倍近い人気とのこと。たまたま当選したのをこれ幸いに「よく分からないけど、まぁ行ってみよう」と息子を連れて車を片道3時間飛ばしました。

IMG_7884.JPG神岡のまちIMG_7933.JPG「神岡鋼業」の看板が。

 この施設は梶田隆章さんのノーベル賞受賞につながる実験がなされたことや、現代写真家のアンドレアス・グルスキーの有名な写真で脚光を浴びました。かつて鉱山だった神岡の山を深く掘ったところにある地下の実験場。ぽっかり空いた入口からバスに乗って地下にぐんぐん進んでいきます。

★IMG_7937.JPG

 ここで何をしているかというと、宇宙を飛び交う素粒子って何かを突き止めようとしていたり、存在すると言われているけどまだ見つけられていない宇宙の運動に大きな影響を与えている暗黒物質を見つけようとしている、とのこと。いかにも頭脳明晰そうな若い科学者が噛み砕いて丁寧に説明してくれます。素粒子の中にはニュートリノがあって、質量はほぼないに等しいから、光と同じ速度で動いて、それは宇宙が誕生したときの情報を伝える大事な粒子で、その解明はまだたどり着けていない万物の理論の完成につながる可能性があるウンヌンカンヌン。
 むずかしいけど、目が生き生きしていて楽しそうに語っています。その場所は山の山頂から図れば地下1,000mの位置にあります。もちろん光は届かない。常に冬の温度。
★IMG_7943.JPGIMG_7953.JPG★IMG_7954.JPG

 彼らは、年中そこで実験を繰り返すいわば地底人。宇宙のことを知りたくて、地球に潜る。何か不思議な感じがしますが、降り注ぐ素粒子を検出するには山の岩盤が厚いフィルターとなって大気のいろんな余計なものが除去されていること、そして膨大なきれいな水があることが条件なのだそうです。神岡の他にいくつか候補地があったそうですが、水と土の条件が優れていたとか。なにかいい田んぼの条件と似ているな。
 アンドレアス・グルスキーが撮ったのも、その素粒子を検出するための大きな水槽でした。直径約40m円筒形、高さ40m強の巨大なもの。側面には1万3千個のランプがびっしり、整然としきつめられています。黄金色で美しい。

IMG_7923.JPGカミオカンデの内部(実験中なので入れず)★IMG_7950.JPG壁面のランプ

 普段は純水で満たされていて、宇宙から降り注ぐ素粒子が別の素粒子と衝突すると放たれるエネルギーをランプが感知して光ります。ランプが光ったデータは毎日沢山出てきますが、ちゃんと研究に使えるのはごく僅か。鉱山で鉱石をみつけるように、データもマイニングされていました。ノーベル賞受賞の影には、多くの科学者の気の遠くなるような作業がありました。
 ほんの一端を触れたにすぎませんが、ニュートリノの運動や暗黒物質の謎を突き詰めようとする科学者の話を聞いて、ぼくの人生観は大きく揺さぶられました。一つは、自分が見たり感じたりする世界が全てではないということ。もう一つは、人類が分かっていることもほんの少しだということ。ニュートリノって、何でも通過しちゃうそうで、毎秒わたしたちの手のひらを数兆個通過しているのだとか。目で見えないし、肌も感じない。自分の身体がスカスカのスポンジに思えてくる。そして、目に見えるものって、宇宙では5%にすぎないそうです。あとはまだ見つかっていない暗黒物質とダークエネルギーが占めていて、「それらが宇宙を支配しているのだ」。もはやSFよりSFだし、色即是空の概念を科学的に証明しにかかっている求道者です。「無から有を生む」いうのがむしろフィクションで、たいていの新しいものというのも、これまでそこにあったけど見えていなかったものがたまたま見えるようになっただけ。世界は、基本的に分からないもの、すなわち人智を超えた「空」である。そう捉える姿勢の方が、自然なのだと妙に腑に落ちました。

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 参加者の一人が「見つかっていないし、見えないのに、なんで『ある』っていえるんですか?」と質問しました。一同笑いがこぼれ、「ごもっとも」という空気が流れる。息子もケラケラ笑っています。科学者ははにかみながら、でもまじめな顔で「それがないと、理論に矛盾が生じて説明がつかないのです」と答えていたのが印象的でした。
 息子は当時小学校2年生で、よく分からない九九を覚えようと必至でした。ひたすら唱えさせられて、○か×かだけ判定される機械的なドリル。とまどっているように見えました。勉強を楽しいと思えなくても仕方がない。
 実験場にあるドアに数々の先輩科学者たちがサインを残しています。そこでみつけた「人の小ささ。人の偉大さ」(濱田純一)という言葉。そうなのです。世界って、わからないものはほとんど。だとしても、それでも人間は分かろうと努力を続けます。地の底で、自分の人生を賭けている科学者たちがいて、楽しそうにしている。地球はどうしてできたのか。その先には、自分は何のために生まれてきたかも、きっと問うているはずです。「九九ってさ、退屈かもしれないけど、分からないことが分かるって、面白いのだろうね。九九も、できることが大事ではなくて、何かを分かるためにあるんだな。」

★IMG_7948.JPG先達の励ましの直筆が扉に。「人の小ささ。人の偉大さ」★IMG_7969.JPG

 どこまで伝わったか分かりませんが、実験場を歩きながら、たどたどしく4の段を唱えはじめました。ぼくが衝撃を受けたニュートリノの身体の通過の話も、2年生にはどこか抵抗なくすうっと浸透しているように見えました。知らないことは強みでもある。勉強だって、ほんとは面白い。人類の知の挑戦の現場は、とっても刺激的でした。

 やがてもとにもどる/2018年4月

 ぼくが生まれ育った街は、石川県の能美(のみ)市といいます。金沢市と空港のある小松市の間にある街で、ベッドタウンの開発や大きな工場を誘致して人口を維持している、全国のどこにでもある田舎の住宅地です。古くは教科書にのるような古墳郡があったり、九谷焼の窯元があったり、大昔から人が住む土地ではあったようです。
 主な観光地はというとあまり自信がありません。自慢はときどき出る野球選手くらいのもので、松井秀喜さんと最近は中日の京田陽太さんです。
 そんな何の変哲もない街に、手取(てどり)フィッシュランドという遊園地があります。通称TFLです。
簡単なジェットコースターにバイキング、メリーゴーランドにゴーカートといった、これまたどこにでもある乗り物で構成された、昭和の古き良き遊園地の趣きです。高校生だったぼくは、このTFLはどこか「田舎くさいもの」と思うようになっていました。街の外には富士急ハイランドがあったり、ディズニーランドがあったり、全国からお客さんが来るような「イケテル」ものがある。それに比べたらTFLは、といったかんじです。
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 4年間にこっちに帰ってきて、子ども3人を連れて久しぶりに行ってみることにしました。実に20年弱ぶりくらいです。残っていた記憶は思春期の頃の印象なので、期待はしていませんでした。もっと寂れているのだろうな。
 しかし、行ってみたらすこぶる楽しいものでした。子どもたちはもちろんですが、ぼくも楽しいのです。待ち時間がないので実にスピーディーに乗り物に次々乗れます。楽しいものはもう一回乗ればいい。回転数で勝負です。
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 大人になった分、少し違う視点からも興味が出てきます。全国のあちこちの遊園地が閉園に追い込まれるなかで、この一大装置産業を何十年も経営しているTFLには敬意が生まれてきます。なぜ「フィッシュ」ランドというかというと、オリジンは熱帯魚や金魚を売るお店だったから。今も一角ではいろんな種類を売っています。熱帯魚店から遊園地まで発展させる、しかも県外客には依存せずに地元のお客さんをメインにやっていくその手腕。最近は円谷プロダクションと契約してウルトラマンショーまでやっています。
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 今回初めて気づいたことがあります。遊園地は、遊「円」地というくらい、円を基準に作られているものばかりなのです。コーヒーカップも観覧車もメリーゴーランドも円運動です。ジェットコースターだって円の変形したもの。アンパンマンにシャボン玉にブランコ。子どもは丸いものが大好きなのはよく知られていますが、なぜ遊園地が好きなのか、合点がいきました。普通の街は、円を基準とした建物では構成しにくい。四角い方が何かと使いやすく、効率的だからです。だけど、遊ぶことを考えたらやっぱり円の方が楽しい。
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 ぐるぐると廻る円運動は当たり前ですが、もとの所に戻ります。戻ることがわかっていながらも、遠くにいけます。ちゃんと戻る安心感と遠くにいくバランス。このかんじが、たまらない。考えてみれば、太陽だって地球だって、同じ運動をしている。宇宙の大きな秩序としては、円運動の方が支配的なので、この快感は進化の過程で身体に刻まれたリズムなのかな、と思いが巡ります。それなのに、世の中四角くなりすぎちゃったんじゃないか。
 ぼくは18歳のとき、この街を飛び出したくてしかたなかったけど、結局20年たって戻ってきた。TFLの大きな大きな観覧車に乗っていただけかもしれない。そう思うと、目の前の代わり映えのしない風景が愛おしく見えてきました。
 あちこちの地面で動く円い影が、美しかったです。次はどのアトラクションに乗ろうかな。
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 世界をみるメガネ/2018年3月

先日、我が子が通うこども園をPRするシンポジウムがあり、保護者として登壇させていただく機会がありました。
金沢の郊外にある、山を切り拓いた丘の上にある小さな園なのですが、この園の「トガった」教育方針にぼくら夫婦はすごく共感していて、この園について語り出すと止まらなくなります。この園がなかったら、「Uターンしてよかった」と思えていない。そういっても過言ではありません。地方で子育てをする豊かさとは何かを追求しているからです。
その方針というのは、「とにかく自然体験を沢山やらせる」という単純なものです。
夏になれば山奥の渓流へ連れていかれます。ただ川遊びをチャプチャプさせるのではなく、ライフジャケットにヘルメットをし、川を登らせ、流されたときにどういう体勢だと浮くかを教えられます。冬になれば雪山です。今年の北陸は20年ぶりの大雪で、視界を遮る吹雪の日が続きました。「今日は中止だろう」と思っていても、決行されます。泣きべそかいても歩かされます。ふかふかの雪の上を投げられて全身が埋まる遊びは、そんな日にしかできないそうです。
園庭には田んぼもあります。米屋としては嬉しいことです。春の田植え前には水田を歩いて代掻きをし、秋には鎌をもって稲を切り、脱穀もします。
動物も飼っていて、ヤギと鴨がいます。鴨のかわいさは、ぼくにとっても衝撃でした。園庭で子どもたちが遊んでいる脇をペタペタと一緒に歩いています。飛んで逃げたりしないのです。ときに先生に抱っこされています。夕方になると池から玄関脇にある小屋に戻るのですが、園長の口笛に導かれ、首尾よく戻ってくるのです。心が通っているようなのです。
ぼくの妻は、保育士をしています。金沢市内の一般的な園に勤めていますが、いわゆる通常のルーティンをこなすだけでかなりの労力を要する仕事だと横でみてつくづく思います。
業務が分かれてなくて、「全部やる」のです。園児の世話はほんの一部で、その周辺の作業、園児一人一人の記録や行事の予定計画・大道具小道具の作成、せっせと家に帰ってもやっています。その姿を見ているだけに、これだけの自然体験のカリキュラムをさらにやりきるなんて、準備や後片付けの手間を考えただけで想像を絶します。先生たちは「楽しいですから」と笑って苦労の跡を見せません。いろんな親御さんの意見もあるでしょう。それでもこの方針をやりきる。とても勇気と体力がいることで、感服します。
というわけで、シンポジウムでぼくは「夏の川も冬の山も、親ではみせることができない世界を子どもたちに体験させてくれている。ぼくは貫いていってほしいと思います。我が子たちを見ていると、自然って何だということを文字どおり全身で体感していて、世界を見る『引き出し』がどんどん増えているかんじがしますから。」と申し上げました。
この世界はどこからどこまでか。その捉え方は人それぞれです。ぼくの場合、子どもたちにはまずできるだけ広く捉えることからはじめてほしいと思っています。例えば、人間だけではなく、人間だって自然の一部、という捉え方です。息子が東京から転園して、最初に親しくなったのはヤギでした。すると休みの日に、「ヤギさんに草をあげにいかなくて大丈夫か?お腹をすかしていないか」と心配していて驚きました。一緒に見に行きました。「電気を消しなさい」というときも、薪で米を炊いたときを引き合いに出して、エネルギーをつくるには世界の一部を使っていると説明すると、「じゃあ、やらなきゃな」という気になっているように少しはみえます。そんな「世界をみるメガネ」は、小さいころに「何を楽しみながら感じたか」によって作られているように思うのです。
シンポジウムで一緒だった『子どもの脳は肌にある』の著者、山口創さんという桜美林大学の健康心理学の先生の説明に、「非認知力」という概念がありました。いわゆる学力などテストで測定できるのが「認知力」であることに対して、興味を持ったり、頑張ったり、他人と仲良くできる力を「非認知力」というそうです。非・認知だけに、親からは見えにくい部分ですが、ぼくが求めているのはここへの教育だったんだな、と腑に落ちました。
さらに、「悲しいから涙が出るのではない。涙が出るから、悲しいのだ」という有名なジェイムズ=ランゲ説を紹介されました。
頭と身体の反応はどちらが先か。その説では先に身体が反応して、それが感情を形成すると主張します。なるほど。ぼくはストレスとか、嫌なことがあると家事をやったり、やたら手を動かして解消していますが、あれもそういうことなのかな。なので、親は何かを教えるまえにまず抱っこをしたりスキンシップをすることが重要とのアドバイス。温もりとか、肌のセンサーを鍛えると、自ずと脳も動くのだそうです。
園長から「実は鴨を食べるところまでやりたいのです。絞めて捌く、そして命をいただく。そこまでやって、本当の食育だと思います。でも、他の保育士から止められているのでやれていません」という話。「それは、どうか勘弁してください」といいつつ、確かにそうかもしれない、とも。知らないで食べるのとどちらが残酷か。引き続き考えていきたいテーマです。
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 線路の先に何があるか/2018年2月

北陸新幹線の金沢開業から3年が経ちます。開業したての時期に比べればメディアでの露出も減って落ち着きが出てきていますが、街中でたくさんの観光客をお見かけするのが当たり前の風景になりました。海外からのお客さんが歩いていても二度見することもなくなりました。金沢駅前の地価はまだ上がり、ホテルの建設ラッシュも続いています。新幹線
が来たというのは金沢という街にとって、すごく大きな出来事だったのだと実感します。
いま、金沢からさらに南の地域、いわゆる加賀というエリアがこの新幹線が延びてくることを手ぐすね引いて待っています。
金沢駅から先には、小松駅、加賀温泉駅、福井駅、敦賀駅らの駅があり、その沿線の自治体も地域が盛り上がる切り札として躍起になっています。新幹線が来れば、人が沢山来るようになり、街は変わる。だれもが疑わない空気です。
正直いうと、ぼくは、この新幹線というインフラへの過剰な期待に大きな違和感を感じています。もともと、金沢開業の盛り上がりも好きじゃありませんでした。強くて大きい、東京のマーケットの原理に街づくりのルールが変わっていく。まるでドーピングが注入されるように、身の丈以上のものに街が膨張していることに、とまどいと寂しさを覚えるのです。金沢の魅力は本来は小さくて、細やかな文化の集積であるはずなのに、それがことごとく大きなものによって吹き飛ばされ、目抜き通りはどこにでもある地方の面構えになっていく。
街に全く人が来ないのも問題ですが、観光という非日常をベースに街づくりをすると、住むという日常がないがしろになり、いつかしっぺ返しがくるのではないかと不安になります。
昨年の秋、そんなもやもやを払拭する芸術に出会いました。能登半島の先端の珠洲市で40日間だけ開催された奥能登国際芸術祭。珠洲の美しい岬や山を舞台に国内外11カ国の39のアーティストが作品を点在させたもので、金沢から2時間半という「さいはて」の辺境の地にもかかわず、7万人が訪れました。その中で最も印象に残ったのはこのドイツ人作家、
トビアス・レーベルガーの「Something else is possible」という作品です。
この彫刻は方形のカラフルな鉄のフレームが少しずつずれながら重なるように組まれ、美しい二次曲面を描いているものです。中にも入れ、真ん中に双眼鏡があります。誰しも当然覗きたくなる。
気になる覗いた先は・・・何と作品名のかわいい看板でした!意外なような、そのままのような。虚をつかれた不思議なかんじ。そして自然と数百m先のその看板まで行ってみたくなります。
スタッフに道を誘導されて、驚きました。この作品は線路沿い、ではなく線路上に
できている。線路の上を歩くのです。憧れのスタンドバイミーの世界。そして、振り返るとさっきの彫刻が線路の先に位置し、トンネルのようになっていることに気づきます。線路の鉄が、魔法にかけられて形を変えて隆起したようにも見えてくる。
この線路は、廃線になった「のと鉄道」のもの。今では荒れ放題の過去の遺産が、アートによって鮮やかに新たな息吹を吹き込まれています。
そして、こう問いを投げているように私は感じました。「線路はこの街にもうない。新幹線だってこない。でも、『なにか他にできる』だろう」と。
南の地域が新幹線頼みの中、その可能性がないこの過疎地域はではもうダメなのか。いや、そうではない。逆なのです。多くの人がこの作品に列をなし、線路を歩いている姿をみて、インフラがなくたって、このエレガントなアートのように文化の力があれば街は息を吹き返す。そう確信できて勇気が湧きました。
新幹線はその速さからしても非日常を運ぶものです。変化を強いる。一方でこの芸術祭は線路をあえて歩かせることに表れているように、時間の流れる速さをヒューマンなものにまで巻き戻し、この街の何気ない日常がベースになっていました。
結果、ここにしかない魅力が浮き彫りになっている。まだまだ珠洲は可能性を秘めていると興奮しました。次は3年後の東京オリンピックの後。それも大きな時代の節目。芸術家たちはどう描いてくるのか、ますます楽しみです。

★IMG_5255.JPGカラフルなフレーム並んで美しい。真ん中に望遠鏡。
★IMG_5270(t).jpgどこか懐かしいこの看板も作品の一部
★IMG_5264.JPG看板の下までは線路を歩きます
★IMG_5265.JPG線路の上からみるとトンネルのような造形

 農家さん訪問記(2) 2017(20年後どうすんべ)

新潟を経て、ぼくらは山形県村山市の黒沼さんを訪ねました。黒沼さんは、変わらずお元気でらっしゃいましたが、今回の訪問で初めて感じたことは、「自分の田んぼを後々どうするか」というテーマに深刻さを帯びてきたことでした。黒沼さんと会って9年、いよいよ眼前に迫ってきたのです。でも、解決策が見えない。あと20年は黒沼さんができたとしても、いかんせん後継者がいなくてはこのおいしいお米が途絶えてしまう。しかも、黒沼さんの田んぼがあるところは山の奥で、水も空気も綺麗でおいしいお米づくりの環境は抜群ですが、平地が少なく、効率化には向いていません。収量重視の大手の参入は期待できな
い。何か打開策はないものか、頭を悩ませました。
山形県村山市の「おんどりそば」。毎年黒沼さんといく絶品の蕎麦屋さんでランチをしました。待っている間、[車なので」と
出していただいたビールを丁重にお断りしました。もちろん飲みたかったし、この後の宮城までのドライブを誰か一人に任せれば二人は飲めます。ジャンケンという手もありますが、何となくそれはやらずに3人とも飲まない、というのがぼくたちの暗黙のルールになっています。
お蕎麦を待っている間、黒沼さんのトーンは、出会ったころの9年前とは少し違っていました。「がんばってあと20年、おれたちができるとして、そのあと、田んぼをどうするか、それがわからない。」
たとえ、田んぼをあげるといっても貰い手もいない。そもそも若い人は地域にはいないし、いたとしても別の仕事についています。山の上のコンバインが入りづらい山間地の土地は大規模化にもむいていません。冬は3メートルの積雪があります。疑う余地もない、おいしいおこめができる恵まれた土地にもかかわらず、継ぎ手がいない。そのリミットが、いよいよ現実に迫ってきている。
そして、この課題は全国の津々浦々で起こっています。修司の実家の近くでは「田んぼをもらってくれたら補助金を出す」という、ついに土地の価格をマイナスにする施策が出ました。
ぼくたちも、「こうすればいいんじゃないか」が思いつきません。すぐ解決できる問題ではないからです。
「この問題は、ずーっと前からあることは分かってるんだよね、国もJAも。だけど、解決策がないから、すっとそのままになっている。」そうなのです。いますぐ解決ができないなら、先送りにしてもいい。その連鎖が続いています。
ぼくは不安になりました。ということは、悪い事態が起きるのは、急に訪れてもおかしくない。例えば、「もうおれ、おこめを作ること、来年から辞めるわ」。今の60代の世代が、10年後そう言い出したら。お米の価格が突然高騰したりしないか。
土づくりには10年も20年もかかると言われています。でも、1年でも作るのをやめて耕作放棄したらもうダメになるそうです。そのバトンが継げないと、あとは山に戻ることになる。
「おれたちの仕事ってさ、そんなにわるい仕事だとは思わねぇべ。いやな上司もいねえし。いるとしたらお天道様かな。天気には逆らえねぇ。でも、それはうれしいことだ。自然とつながった仕事だと思えるし、稲も育つし。外で働くと気持ちがいい。やなことは一つもない。」
すごく清々しい表情で、黒沼さんはおっしゃいます。
「毎日田んぼにいってよ、草をむしったり、虫をとったりして。そしたらよ、終わったらその田んぼが稲だけが並んで、すごく綺麗にビシーっとなってるんだよ、それが気持ちよくてね、毎日してて、あきないんだよな。」
休みの日は音楽を楽しむ。黒沼さんは趣味、といってもコンサートをやるくらいの本格的なジャズ奏者です。
「ほいでよ、泥だらけに毎日なるだろ、でもジャズのコンサートのときは、タキシードきてビシッとした格好をしてやるんだよ、その触れ幅が、面白くてな。」
ご自分の仕事のやりがいをこれだけストレートに、迷いなく、嬉々と語る姿に、とても感銘を受けました。もしぼくが新卒で就活セミナーでこの言葉に会っていたら、人生変わっていた気がします。そんな働き方をしたいという若者、結構いるんじゃないでしょうか。常にメールを気にする必要もなく、1年間、じっくり腰を据えて結果を出せばよい。毎日の仕事の成果はちゃんと目に見えて分かる。たいていの意思決定は自分次第。さらに、自分たちの食料にもなる。
それでも、農業従事者は減少しています。いいなと思っても、ぼくも結局就いていない。なぜなのか。おそらく、問題は仕事の内容ではないのだと思います。その周辺がわずらわしい。引っ越さなくてはいけなかったり、新しくコミュニティにとけこまなきゃいけなかったり。既存の農業業界で構築された社会やシステムが大きくて固そうで、それに溶け込めるかが不安になって、面倒に思えてきます。さらに、通常の物流では、自分の作ったものが、どう思われているかわからない。
なので、来年あたりから、もっとプリミティブに、農業そのものの楽しさを味える、そんな「プチ農業」を我が家の庭から初めてみようかといま画策しています。今年はミニトマトやオクラ、キューリとゴーヤでした。少ないですが、自分が穫ったものを食材にする嬉しさ、そして金がなくとも、その日を自ら食いつなぐことができるという安心感があって、ハマりそうです。普段はデスクワーク中心なので、気分転換にももってこいです。来年
はお米づくりに挑戦したく、水田をどう作るかが目下の課題です。これからの時代はたいていの人が何かしらプチ兼業農家になっている。そんな、第一次産業がより身近になる流れができたらいいな。黒沼さんと別れ、そんなことをふと考えました。
来年はビールを酌みかわさなくては。

 農家さん訪問記(1) 2017(新潟県小千谷の川上さん)

 9月の連休。3人で毎年恒例の農家さんを巡ってきました。長野、新潟、秋田、宮城の5つの農家さん。全行程1,200km。2泊3日で駆け抜けます。行程は分刻みで目的地の農家さんが次々と並びます。農家さんと話して食事して寝る以外は車の中。久しぶりに3人で会ってじっくり話す貴重な機会でもあります。今年は台風が南から迫って来ていて追いかけっこさながらでハラハラしましたが、最終目的地の宮城県栗原市の千葉の実家に着いた夜にちょうど遭遇して過ぎ去って、なんとか無事に巡れました。
 その時期は田んぼにとって面白い時期で、南から北、あるいは田んぼのある高度によって稲の実り方や色が違います。新潟は稲刈り真っ最中。宮城はまだ1ヶ月先で稲はまだほんのり青い。車で南から北に北上するとそれが次第に変化していって、日本は縦に長いのを実感します。
 農家さんは口々に今年の夏は暑くなかったと言っていました。雨も降ってほしいときになかなか降ってくれず、いつになく苦労した、という話でした。結果、1つの稲にできるお米の数が少なめだそうで、新聞報道のように全国的に収量は例年に比べて少なめになる見込みのようです。とはいえ、ぼくらの農家さんの田んぼはどこもちゃんと実ってくれていて、いつものよう美しい景色が広がってくれていました。
 今月は新潟県小千谷市の川上さんの新米をお届けいたします。ぼくらが着いたときは稲刈りの最終日で、川上さんの顔には大きな山場を超えた達成感と安堵感がありました。
 川上さんと最初にお会いしたのは9年前になります。その頃はまだ20代前半だった川上さんももう30代。お子様も二人できました。優しいお人柄はそのままに、貫禄が漂ってきました。ますます頼もしいです。川上さんはお米づくりの師匠でもあるおじいちゃんとのいわば孫子鷹でお米づくりをしています。そのおじいちゃんももう90歳。でも元気にバリバリ現役でトラクターを運転し、カブで毎日田んぼに行きます。
 その元気さに90歳のイメージが覆ります。一方で、今年、川上さんの口から聞けた「お米づくりの流れは、だいたいもう、わかりますよ」という力強い言葉。もちろん農の道に果てはなく、クオリィティの追求は切磋琢磨をなさっている日々とのことですが、きっとおじいちゃんの背中をみながら経験を重ね、次の世代としてこの地域を担う気概と自信を感じました。
 農家さんの数はこの集落でも全国的な傾向のとおり減っていますが、30代の担い手は川上さんのほかにも何人かいらっしゃるそうです。平均年齢が67歳で、5年間で20%農家数が減少している現状で、この世代はものすごく貴重な存在です。
 なぜ農家さんが減り続けるのか。理由はいろいろありますが、「兼業でやっていくことも、職場の理解がないとなかなか厳しいです。」という言葉が気になりました。川上さんは兼業でお米づくりを従事されてらっしゃいますが、稲刈りの時期は午後2時の「早あがり」をさせてもらっています。帰宅後、そこか
ら3時間程度田んぼに出かけて稲を刈る。このシフトを川上さんの会社は理解してくれていますが、天下の米拠である魚沼エリアでさえも珍しいのだそうです。
 農業は田植えと稲刈りに特に作業が集中します。年中ずっと同じ時間拘束されている労働形態ではありません。なので、兼業ももともとはしやすいはずなのですが、もう一つの仕事の働き方がボトルネックになってしまうこともある。第一次産業の労働力を高めるには、農業こそ最近話題の「フレキシブルな
働き方」が求められているのではないかと感じました。例えば普段は東京で働き、田植えと稲刈りのそれぞれ2週間は地元でテレワークをしながら田んぼをやる。それが成り立つだけで随分と農家の担い手となる層は開拓されそうな気がします。都会の疲れを農作業を通じて癒される。精神的にもヘルシーになりそう。
 もうひとつ、川上さんは「ぼくはおじいちゃんがいたから、こうしてお米づくりのイロハを覚えましたが、やってみたくてもそんな現場で教えてくれる存在がいないと習得するのは無理です」という言葉。当たり前ですが、その教えてくれる層が次々引退しているこの産業。残された時間は限られている。農業に
興味ある、でもツテはない。そんな若い層と農家さんをおつなぎできないか。おいしいおこめを絶やさないためにも、そのあたりを今後ぼくらもちゃんと考えていかなくては、と切に感じました。まずはぼくがお米づくりを始めてみて、いろいろ学びたいと思いはじめています。
★IMG_4836.JPG作業を終えたコンバインに 乗せてもらった千葉
★IMG_4850.JPG川上さんの家の裏にある神社。積み上がるのは籾殻。
★IMG_4842.JPG庭にはきれいな花が。
★IMG_4855.JPG川上さんと。バックの川は信濃川。田んぼもそのそばにある。

 奥能登国際芸術祭が開幕

 珠洲と書いて、「スズ」と読む。
 石川県珠洲市は、能登半島の最先端に位置するまちです。少子高齢化まっしぐら。いわゆる「消滅可能性都市」の中でも、真っ赤かに塗られ先頭をいく「さいはて」のまち。せっかく育った若い子も、大きくなったら金沢なり街に出て行く。特に目立った観光地もない。金沢から車で2時間半。京都とあまり変わらない所要時間。電車は廃線になって通っていない。石川県に住んでいても、多くの人にとって珠洲まで行く機会はなかなかない。 ぼくがそんな珠洲のとりこになったのは、まだ東京にいるときでした。きっかけはこのスカイの3人で、珠洲にある湯宿「さか本」なる宿を訪れたこと。以前このお便りでも書いたことがありますが、「いたらない、つくさない。ほったらかし」をモットーにした宿。森の中にひっそりたたずむ3部屋しかない民家。
 チェックインもなく、着いたら名前をいったら部屋へ案内されて、それで終わり。テレビもエアコンもない。団扇だけが置いてある。庭では鶏がコケコッコー。静かな時間が流れ、心の中に空白ができる。さあそれをどう満たそう。よし、3人でこの活動のこれからについて語ろうか、と夜な夜な過ごした、そんな宿です。最近はミシュランホルダーにもなってしまったこともあり、知る人ぞ知る系から予約のとれない人気宿になってしまい少し寂しいですが、自然と大らかな気持ちになり、人を安らぐ気持ちにさせる珠洲の力を体感できる、素晴らしい宿です。

さか本.JPG湯宿さか本にはる離れ。池を眺めながら、のんびり語り合えるスペース。

 そんな珠洲の魅力に取り付かれた大物が芸術界にもいたようです。北川フラムさん。昨今全国津々浦々で行われている芸術祭をいち早く仕掛けた人物。瀬戸内芸術祭はいまや世界的な芸術祭の聖地となりましたが、そんなフラムさんが、「珠洲でやるんだ」と決めて数年。世界中からアーティストを招聘し、珠
洲の海、山、岬を舞台に39の芸術作品ができたトリエンナーレ「奥能登国際芸術祭」が9月3日から開幕します。
 「10年後、金沢より珠洲が世界では知名度があるようになっているだろう。」 とフラムさんはいいます。消え行くとされる珠洲には、ものすごいポテンシャルがある。珠洲がこれから大化けする。胸が膨らみます。ぼくがUターンした意味が見つかるかもしれない。この目で見て、いっぱい感じてこようと思います。
スズロゴ.jpg奥能登国際芸術祭のサイトはこちら。

 『猿のしっぽ』さんを3人で訪問しました

 東京出張のついでに、先日ご紹介した、ぼくらのお米を新たに導入いただいた麻布十番の地鶏料理「猿のしっぽ」さんを3人で訪問しました。3人が会うのは11月のお米ツアー以来、約4か月ぶり。とはいえ、毎週スカイプで話をしているので久しぶりという感じはなく、スカイプは距離を縮めるものだなとつくづく。
 週の真ん中にも関わらず、麻布十番の商店街は多くの人でにぎわい、キラキラしていて、オシャレなお店もたくさん。金沢にUターンして3年たち、すっかりお上りさんを楽しめるようになりました。
 猿のしっぽさんは商店街の六本木ヒルズ側にあります。1階はカウンター、2階は座敷の個室になっています。
 メインの地鶏の串焼きは定番のモモやボンジリはもちろん、希少部位も揃い(ぼくが一番好きなハツモトもありました)いずれも絶品で、さらに、地鶏のたたきやその日の「おまかせ前菜5種」も自然とお酒が進む品ばかり。グロゴンゾーラを使ったニョッキも味わい深く、まぁ何でも美味しくて、さすが麻布十番界隈に住んだり働いたりするお客さんを満足させるクオリティはかくも高いものかと舌を巻きました。このようなお店にお米を取り扱っていただけるなんて。
 「とてもおいしいですね、お米。」ぼくらのお米は、ユッケ丼やチャーハンや鶏飯などで楽しめます。カウンター越しにそう褒めてもらえるとやっぱり嬉しくて、この活動しててよかったな、と実感する瞬間でもあります。
 「農家さんも喜びます。」とぼくらが感謝とともに伝えると、「いいことですね。ゆくゆくは、農家さんと料理人が一緒になって、食材の良さをもっと引き出せる料理を開発するような実験的な調理場をつくってみたいと思っているんです。」
というマスターの夢を語ってくださいました。先月もお伝えしましたが、このマスター、フェイスブックで5,000人もの友達がいて、ほとんどが料理人か農家さん。双方からそのような声をたくさん聞くようです。生産地としての地方と消費地としての都市が、もっといい関係になるような構想。ぼくらがやりたいことの先を、より具体的に考えていらっしゃる。
 聞けば、マスターは大病を煩って、一度は死を覚悟したことがあるそう。医師からも完全な回復は望めないといわれ、もう厨房に立てないと思っていたところ、幸いにして回復。「拾った命なので、思いっきり一旗揚げるか」と山口から出て、麻布十番のこのお店で腕を振るうことに。
 「楽しくて、しょうがないですね」という言葉に、とても重みがありました。表情からやり甲斐が滲み出ています。「東京は自分がポジティブでさえあれば、とても生活するのに楽しい」という話で盛り上がりました。ぼくはUターンした身なので、いってみればマスターとは逆の生きる場所を選ぶ判断をしたのですが、なるほどそれが人を寄せつづける東京の魅力なのかと再認識。確かに今夜はすこぶる楽しい。
 ちなみに、マスターの経験上、飲食店が売り上げを伸ばそうと思ったら、新規メニューの開発に行きがちだけど、本当に大事なのはそこじゃない。「まず掃除をすること」だそうです。掃除をすると、全体が見えてくる。どこに無駄があって、何が本当に必要かがわかるのだとか。都会でも浮つくことなく、しっかりと地に足をついていることがわかる言葉に、なぜこのお店が人気なのか分かった気がしました。テレビ朝日が近いこともあり、
その日の2階には人気芸人さんが。「芸能人が来ても、ぼくテレビ見ないから分からないんですよ」。そんなかんじの、いいお店でした。末長くぼくらのおこめも扱ってもらえるように、がんばらなくては。
猿のしっぽ.jpegマスターを囲んで。ぼくら3人と、左前は個人で1年で最も購入いただいた記録(500kg!)をもつ大原さん。猿のしっぽ2.jpeg猿のしっぽ3.jpeg

R不動産のサイトreal localに寄稿しました

金沢にきて3年がたちました。
この1年は、自分にとってとても大きな変化がありました。
週2.5日勤務にして、育児家事をやるようになりました。
料理ができるようになりました。ゴミの日を覚えました。
家のどこに何があるか、わかるようになりました。
小さなおうちをつくりました。
バスケを毎週やるようになりました。
フルマラソンを完走できるようになりました。
質素倹約をはじめました。結果、痩せました。

東京生活に比べ、変わりように、自分が一番驚いています。でも、違和感ありません。
子どもたちのおかげで、地方で生きることの意味が、少しずつ輪郭を帯びてきた気がします。

そして、この度R不動産さんが運営する地方のこれからの魅力をテーマにした「real local」なるサイトに寄稿させていただくことになりました。

先程、第一回がアップされました。ペンネームは「鴨」です。
今の気持ちを率直に書きました。よかったら、ご笑覧いただけたら幸いです。前編と後編があります。

「金沢移住、そして「時間持ち」という選択」
前編:週2.5日勤務。「兼業主夫」の生活
後編:地方で見つけた、「無価値なもの」への眼差し

これからもこんなかんじでみんな元気で、日々の小さな発見を愉しみながら過ごしていけたらいいなと思ってます。

道祖神と火柱

先日こちらに書いた、長野県木島平村の小池さんを訪問したときの藁のモニュメント。
 道祖神というそうです。辞書的な意味は「峠や辻・村境などの道端にあって悪霊や疫病などを防ぐ神」なんだとか。「年末に火をつけて燃やすんです」
「燃やすとき、写真送りますね」
の言葉どおり、先日、小池さんは約束通り写真を送ってくれました。律儀な方だ。

写真を見て、びっくり。燃やす前、かのモニュメントにだるまが沢山ついています。
年末、寒空に立つ火柱。燃えるだるまたち。すごい迫力だろうな。一度、拝見しにいかなくては。
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農家さんツアー2016(後編)/長野県木島平村〜山形県村山市

 新年あけましておめでとうございます。おかげさまで、この活動をはじめて9年目の新しい年を迎えることができました。

 3人の小さな活動ではありますが、一人一人のお客様、農家さんとのつながりを大事に、この「顔のみえる」からこそ提供できる流通を追求していけたらと思います。今年も変わらぬご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 前の投稿につづき、先日3人で伺った農家さん巡りのレポートの後編をお届けさせていただきます。
今回のルートで、ぼくらが廻ったところはまだ決してメジャーではないスポットかもしれないですが、いずれも3人が太鼓判の知る人ぞ知る感が満載の「いぶし銀なオススメスポット」です。もしも、お近くに
いらっしゃる機会があれば、参考にして頂ければ幸いです。

 木島平の小池さんのお家を出たぼくらは、どうしても道草したい温泉がありました。その名も「馬曲(まぐせ)温泉」。木島平の高台にある、小さな湯です。しばらく山道を走っていくと、木造の湯治場然とした趣ある建物が。しかも、平日にも関わらず「どこにそんなに車いたの?!』というくらい駐車場は賑わっていました。古くは戦国時代からこの険しい山道を越える武士たちに重宝されていた温泉だとか。価格も500円で手頃です。sub_image_02.jpg馬曲温泉(画像は公式HPより)

 露天風呂はロッカーが10個くらいの小さな小屋が脱衣場で、大きくはないですが、扉を開けて外へ出ると、湯船の先は遮るものが何一つなく、遠くまで広がる山並みを見渡すことができる絶景です。いわば「天空浴場」。身体は宙に浮きつつも、温泉がぽかぽか温めてくれます。眠っているニホンザルの遺伝子が覚醒した気持ち良さでした。

 翌日は山形県村山市の黒沼さんのお家へ車を飛ばしました。
 黒沼さん宅に着くと、「朝とってきたんだ。はいこれ、あげる。」と頂いたのは、15037163_1202719243106961_7248425259698205836_n.jpg天然のなめこ袋いっぱいの天然(!)のナメコ。とにかく大きくて、直径5センチくらいのものもゴロゴロ。聞けば近くのブナ林で、枯れた樹に数年で生えてくるとか。普段スーパーではお目にかかれない立派さに目を剥きました。菌類フリークのぼくは、もう卒倒しかねない勢いです。しかも、リンゴも(全国的には知名度はそこまでですが)、実はすこぶる美味しい。ブドウ、サクランボ、リンゴ、そして天然のナメコまである。いやはや、おそるべし山形県村山市の食文化。

 そのあと、さらに山をかけのぼり、黒沼さんの田んぼのある山ノ内エリアへ。毎年恒例で、3人の楽しみになっている「おんどりそば」さんで昼食。この山ノ内エリアは、その名のとおり山間部で、冬は積雪3メートルになります。その雪解け水がブナ林を通じて一年中田んぼに流れてくるという環境。当然、水がとんでもなくおいしい地域です。いわずもがな、蕎麦も。交通の便はよくないところですが、東京からもファンが多いとか。でも納得です。ぼくらもいつしか「おいしいそば」といえばこのお店がトップにくるようになりました。太い田舎そばも、サラっとした細打ちも食べられます。お米もそうですが、自然環境と熟練の職人さんの腕、さらに旬さが加わると、エラいことになるものなのですね。毎年、つくづく地方が当たり前に持っている豊かさに気づき、舌を巻きます。そば.jpg村山市山ノ内「おんどりそば」

 とはいえ、ご多分にもれずこのエリアも高齢化が進み、農業も後継者は減り続け、60歳代はまだまだ若手なんだとか。この豊かさを、これからもつないでいけるのか。舌鼓を打ちながらも、大きな、切実なテーマが眼前にあって、それにぼくたちは向き合っていることを再認識し、背筋が伸びました。ずっとこの蕎麦も食べに来たい。ぼくらは伝えることくらいしかまだできていないのが歯がゆくもあり、でも続けていって、もっともっとがんばらなくては、です。
3.bmpおんどりそばの駐車場からの風景

農家さんツアー2016(前編)/長野県木島平村 小池さん

紅葉がきれいな晩秋、3人で農家さん巡りをしてきました。
千葉の車で延べ1,200km、東京から長野、山形、宮城を2泊3日で駆け抜ける弾丸ツアーです。ぼく(嘉門)が金沢にUターンしてからというもの、毎週Skypeはしていますが、3人でじっくり顔をあわせる機会はグンと減りました。長旅ですが、道中は、普段は話せない遠い将来のことや、いま考えているホットなテーマなど、積もる話をするにはいい機会です。
 たとえば、千葉は最近アメリカのデジタル・マーケティングの会社に転職したばかり。六本木ヒルズに居を構えるスピード重視、実績重視の会社です。入社したて、信頼関係を築く大事な時期でもあります。そんな中、この旅の前日に、社長から呼ばれ、アメリカ本社のCEOからの仕事を直下で手伝ってほしい、と頼まれたそう。「明日までにカタチにしたい」とのこと。新人には冥利に尽きるチャンス、信頼を勝ち取るにはもってこい、だったはず。しかし千葉は首を縦に振らず、「ぼく、明日休みです」と丁重におことわりし、ちゃんと農家さんツアーに車を走らせました。3娘の父、大丈夫かなと小木曽とぼくは少しハラハラしましたが、彼のなかでは迷いなかったようです。確かに、このツアーは彼抜きにははじまりませんし、農家さんとも年1回顔を合わせる大事な機会。普段の会社はあとからリカバリーできる、と踏んだのでしょう。その決断と自信にアッパレでした。(宿では小木曽と僕が酔っ払った傍ら、PCを立ち上げ、必至に六本木にデータを送ってた模様。きちんと遠隔ながらも職務は全うして、「両立」させていたようです。)
 さて、旅は長野県の木島平の小池さんから始まりました。同年代の小池さんとじっくりお話しつつ、田んぼの周りをめぐりました。農業にもIT技術が導入されるとどうなるかという話、おいしいお米ができるための条件(水もさることながら、肥沃な土がやっぱり大事とのこと)、村の人口減や少子化、親から農業を継ぐ若者の話など、リアルな話を伺えました。印象的だったのは、「こればっかりは自然相手ですから」という言葉。おいしいお米になるように毎年全力を尽くすが、自然や気候の条件も毎年必ず異なるわけで、「工場で製品をつくるのとは違う」。なので、国が推し進めている農地集約による効率化やIT技術の導入による生産性の向上も大事ですが、同時に美味しさも両立できるかというと、「難しいと思うんです」。「これからは、量を追求してできた米と、質を追求してできた米のそれぞれが流通するようになるのではないでしょうか」。そして、量を追求したお米は、やがてTPPで外国産米との競争に晒されるでしょう。一方で、美味しさは環境の要素も大きく、そう容易くコピーできない。時代は進めども、まだ
まだ完全に人間の思いどおりにできるには程遠い。手間がかかり、低価格ではとても割があわず、生計が立てづらい。
 それでも、質の追求を諦めず、もっと美味しいお米をつくるんだ、そんな覚悟と農家としての矜持が小池さんにはあります。自然を受け入れた上で、全力をつくす。その姿勢は決して消極的なのではなく、むしろ潔く、自然の恵みを殺さずに、最大限引き出そうとする「自然な」ものに感じられました。おいしいお米を作り続けてみせるという情熱が滲み出ていて、とても心強かったです。
 田んぼの脇道に、刈ったあとの藁を編んだり積んだりして、5メートルほどの尖った藁の山がありました(上の写真左)。モニュメントのような、遠くからでも圧倒される存在感。何か尋ねると、毎年、年末に火をつけて、炎を燃え上がらせ、神に五穀豊穣を祈るのだそうです。自然には逆らうことはできない。ならば、最後は祈るしかない。そうか、農家さんの仕事は、神様抜きには語れない。全国に伝わる祭事も、由来は農業や漁業だし、第一次産業は、神様に近い仕事、といえるのかもしれない。何百年も伝わるであろうその祈りの習慣に思いをはせながら、改めて尊いお仕事だな、と感じました。
★IMG_7838.JPG小池さん(中央)IMG_7812.JPG藁のタワー

子どもとの時間

 7月になり、水田が青々としてきました。
 普段は公務員をしているぼくですが、この4月から、思い切って、育児制度をつかって週2.5日勤務という勤務形態にしています。この育児制度、いわゆる育休とはちがって、小学校に入る前の子どもがいる場合、週5日勤務という義務が免除され、2.5日でもいいよ、としてくれるものです。もちろん、その分給料は半分になります。この制度、役所によくある、制度はつくったものの実際はほとんど使われていない形骸化したもの。その存在すらほとんど知られていませんでした。

 ぼくがその制度を利用するとなったとき、周りからは、しかも男性でとるなんて、正気の沙汰じゃない、という反応。でも、小学生と幼児と乳児をもつ3人の親のぼくとしては、彼らと時間を思いっきり過ごせるすばらしい制度に見えました。妻に相談して、寛大なことに理解してくれました。しかも、家計を支えるために、フルタイムで新しい仕事についてくれました。彼女の懐の深さにはほんと、頭が下がります。

 そして始まった新しい生活、友人知人の反応は、面白がられはしますが、「よくそんなことできるな~。(自分にはできないわ~)」というものがほとんど。多分、いちばんは経済的な理由。これまでどおりの生活ができなくなることに抵抗はあるようです。しかも、我が家の場合はこのタイミングで新たに
家まで建てて住宅ローンがはじまる時期。ほとんど呆れられている気もします。
 それでも、ぼくにとってこの決断は自然なものでした。そもそも2年前にUターンしたのも、ぼくらの子どもにとっては小さいころは田舎のほうが楽しめるだろうと「子どもシフト」したからですし、子どもの小さい頃に一緒に過ごすという時間が愛おしく、それを満喫するため環境づくりのためならUターンも
するし、家も建てるし、時間もつくる。大きなお子様がいらっしゃる人生の先輩方から「今がいちばんかわいいときだね。大事にしな。」とさんざん吹き込まれたこともありますが、小さい子の育児は、
 ①いましかできない。あとでどれだけしたくても、手に入らない。
 ②自分しかできない。相手もあなたを求めていて、かわりがいない。
 ③やればやるほど、人生のいい思い出がふえる。
というもの。もしも仕事でそんな条件のものがあったら、給料が安くてもいいからやりたい(!)と思うわけで、それがたまたまぼくにとっては「育事」だったのだと思います。

 そうやって始めてみたこの生活、これまで恥ずかしながら妻に任せっきりだった家事、料理、洗濯、掃除も、もちろんやるようになりました。家計を節約するために、自分の髪を自分で切ったり、iPhoneやブロードバンドもやめたり、新しい家の登記も自分でやるべく法務局に通ったり、お金が足りなかった工事をDIYでやったり。渓流釣りで魚を得たり、家庭菜園をして自給自足を少し試みたり。お金もないし、給料も稼げないなら、できるだけ自分でやって、出ていく分を減らすためにいろいろやる。不思議と、前よりも「豊かだ」と充実感を得ています。
 いい大人が今さらなのですが、自分の生活が、これまでいかに他者に依存していたかを時間しています。特に家事は、いかに手が休まらず、自分の時間がなく大変だったかもわかり、敬意と感謝の気持ちがぐっと深まり、これまで面倒と思って避けていたことも自分でやるようになると、自分の生活をそのスタイルにあわせて細かくチューニングできるし、手をかけることで目の前の日常に愛着が生まれます。同時に、自分の領域が広がって、少し逞しく、生存のためのスキルも身に付いたような気になり、仕事とはまたちがった成長実感があります。

 言い換えれば、他愛もない日常の価値をみつめ直しているのかもしれません。あと何回、子どもたち3人と一緒にお風呂に入れるのかな。限りある時間のなかで、彼らの身体を洗いながら、日々感じるささやかな成長に気付く。自作のぬか漬けのキュウリや釣ってきた岩魚を、美味しそうに食べてくれると嬉しい。決して派手ではないものの、自分のペースで呼吸ができ、日々の息づかいが整っている気がします。
 このような日々は、かつての農村の生活が持っていたものなのかもしれません。そういえば、農家さんは今でも自分の生活を整える術をしっている。都市的な生活と農村的な生活、自分にとっての適度なバランスが、このあたりにあるのかなと思い始めています。

田植えと祈り

 農家さんから田植えの写真が送られてきました。自然のサイクルを拠り所にしながら、人間なりの秩序を加え、食物をつくる。この営みが何千年も、しかも世界中で続いてるかと思うと、すごいシステムだな〜とつくづく感じ入ります。IMG_4472.jpg

 田植えが行われると、農家さんにとってこれまで手元で育ててきた苗が、自然の中にさらされるようになるわけで、それは自分のコントロールが全ては及ばない環境で作業しはじめることでもあります。雨の量、温度、台風、虫など、毎年ちがう自然環境に合わせて、水位、肥料のタイミングなどが最適になるように、丁寧にチューニングしていき、稲の成長を日々見守っていきます。

 田んぼには、神様がいると考えている地域も少なくありません。例えば、石川県の能登半島の先端、奥能登地域には「あえのこと」と呼ばれる儀式があります。ユネスコの無形文化遺産に登録されたこの儀式は、稲作を守る“田の神様”を祀り、感謝を捧げる農耕儀礼で、田んぼから神様を家に招いて、ご馳走をもてなし、お風呂まで入ってもらう、という神様を「接待」をするというもの。
 田んぼに行って、「神様、お家にきてください」と呼びかけ、玄関で「さ、お上がり下さい」と招き、居間には最高の食事が用意されます。もちろん、神様は見えませんから、話しかける先にその姿はみえません。衣装は立派な袴。見えない相手に考えうる限りの「おもてなし」をする、いってみれば、壮大なパントマイムのような儀式です。今でも、大事な儀式として各家に継承されています。

 現代は、幸いにしてお米が不足する状況はよっぽどのことがないとおこらないでしょう。流通も発達していますし、万が一一部の地域が不作でも他からとりよせて工面すればなんとかなります。でもむかしは、台風ひとつでその地域が食糧難に陥り、死活問題なることもあったはずで、知恵をつくしつつも、最後は自然の恵みに祈り、感謝することも、今以上に切実な意味をもっていたのだと想像します。

 一方、先日、外資系の投資会社で、資産運用を生業にしている方とお話させていただく機会がありました。オフィスは東京の真ん中のピカピカな高層ビル。さぞかし、金融の世界は農業と対照的にさまざまな統計データや科学的な理論が全てで、ロジカルに行動を決めているのだろうと思い込んでいましたが、もちろんそのような分析も最大限駆使しつつ、でもファンドマネージャーで縁担ぎや占いを最後の頼りにしている人も少なくないそうで、そんなオフィス街でもとある占い師にその筋の人たちが順番待ちをしてどこの業界がこれから伸びるとか、どこの国が危ないとかを聞いているそうです。リーマンショックもその占い師はわかっていたとかなんだとか。神様であれ占い師であれ、拠って立つところを外にもとめている。なんとも人間らしい話です。

 自分の考えのとおりに全てのことが進むなら、どんなに生きやすく、すばらしいことでしょう。でも、そういう日がきたとき、人間は怠けたり、助け合おうとする感情をなくしたり、さらには感謝することもなくなるかもしれません。人事を尽くして天命を待つといった、自然の世界であれ、ビジネスの世界であれ、不確定性があるなかでベストをつくすと同時に、だからこそ何かを信じたり、感謝したり、互いに思いやろうとしたりという人間臭い感情の尊さを、「あえのこと」は教えてくれるような気がします。

 今年も、豊かに実りますように。

1000年の視座

 僕たちは「1000年後のことはわからない。でもきっと、米は食べている」をスローガンにしています。とはいえ、できるようになりたいとおもっても、なかなか1000年後への想像を膨らませる手がかりを探すのは難しい。
 そんな中、最近読んだ、宮大工の小川三夫さんの『棟梁』に、ヒントがありました。宮大工という仕事は、実際に1000年以上のスパンを見据えているんですね。小川さんの大師匠、法隆寺に遣えた西岡常一さんを「あの人は、飛鳥時代の職人と対話ができるような人だった」といっています。かっこいい・・。
 ご存知のように、法隆寺は木造最古の建築といわれていますが、部材の大きさは全て違うそうです。当時は電気はもちろん、縦に引くのこぎりさえもなかったわけで、不揃いなものしかできないのは当たり前。それでも、一つ一つ違う木の繊維や特性を見抜き、全体がバランスをとって崩れないように頑丈にくみ上げられている。もちろんクレーンもないから全て人力です。想像を絶するようなローテクですが、実際に現在もその建築があるのは、時代時代の棟梁の手によって修繕され、次世代にバトンを受け渡されてきたから。設計図など残っているわけはなく、実測し、解体し、いにしえの達人の意図を読み、それを受けて補強し、また組み上げるという過去の職人との「対話」がそこにある。自分たちも数百年たったとき、「昭和・平成の職人はこうしたのか」と読み取られ、そのときに恥ずかしい思いをしないためにも、いい仕事をしなくては、といいます。いい仕事かどうか決まるのは、少なくても数百年後。すごいスケールです。「俺たちの仕事は、神様や仏様の家であって、民家じゃない」。なるほど。。
 また、木に比べたら「鉄やコンクリートは弱い」。たしかに、鉄やコンクリートには生命はないが、木にはあります。千年を見据えるなら、その違いは大きいのではないかと感じました。つまり、その強い/弱いは生命「力」の有無なのではないか。
 一方で、現代は効率性を優先し、木材も全て同じ部材を機械で加工して組み立てることが主流です。しかし、本来的には木は全て育った環境が違い、個性がバラバラ。にもかかわらず、そうすることは実は「かわいそうなこと」であり、それはで「長くはもたない」。さらに、「現代は人間も同じだよな。同じ面でなきゃ、社会で生きにくい。でも、俺たちは、使いにくい曲がった木を扱えるかが、本当の腕の見せ所なんだけどな」とも。ドキリ。
 お米の1000年後を考える上で、お米の、そして人間の生命としての力のあり方、そのあたりがヒントになるのかもしれません。

金沢で感じた二つのスピード

 金沢が北陸新幹線開業に沸いてからもうすぐ1年経ち、ぼくもようやく先日、金沢駅から北陸新幹線に乗って東京に行ってきました。
 金沢を出発してすぐトップスピードになって、気が付けば県境を越えて高岡を通過、あっという間に富山駅に到着。その間、いつも在来線や車で見慣れていた身近だった風景が、またたく間に過ぎ去っていきました。
 タイムスリップしたような、時間短縮効果に驚きつつも、自分にとっての風景が、自分のものでなくなったように感じた切なさがありました。機械が与える速度に、自分の認知がついて行っていない切なさです。何度も見た映画を早送りで見せられたようなあっけなさで、これまで自分が暮らしたエリアが、急に小さく、ちっぽけに感じました。そして、これまで地上から眺めていた対象を、上から見下ろすことになり、よそよそしさを感じました。
 この気付きは、自分の知っている風景を猛スピードで走ってみたから与えられたものです。僕も、見知らぬところを新幹線で走っても、ただ何となく流れているものでしかないように、ほとんどの乗客は、心にとめることもないでしょう。そうか、新幹線からの風景は記憶に残らないどころか、覚えられることさえもないのか、と思い知りました。
 逆に、認知されるためには、操作が必要です。田んぼの真ん中やビルの屋上にこれでもかというくらい巨大な看板が建てられ、風景が一変しました。好きだった風景がどこにでもある街並みになっていく。そしてこの便利で快適な乗り物に慣れてしまうと、もう後戻りはできなくなるのも人の性。

 *

 日は変わって初開催された金沢マラソンの日。初めてのフルマラソンに挑戦しました。普段車でしか走ることがなかった道を走り、街中や郊外の風景をじっくり眺めることができました。自分の身体能力を越えないスピードで走ることで、車窓からは気づかなかったような、建物の中の雰囲気や、気になる裏通り、ひっそり佇む雰囲気のいいお店など、次々と興味が喚起されます。
 さらに、つらかったり、楽だったり、起伏のある感情が、その場所の風景と相まって、単なる認知を超えて、場所と感情がつながって、記憶が刻まれていきます。後日、同じ道を車で通るとき、「この坂、つらかったなぁ」とか、そのときの感情が再びわき上がってきます。記憶がまちに定着した感覚。身体が心地よく、楽しいスピード。何より、まちを大きく感じました。
 スピードは、時間をいかにコントロールするかということだから、ぼくが体験したこの二つの時間は、機械的時間と身体的な時間といえるのかもしれません。この二種類の時間の振幅の中で、人間は自由にできる時間の幅を拡げていく工夫をしている。

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 先日の大晦日、久しぶりに上京し、千葉家に遊びに行きました。お酒が回って、21世紀がどんな時代になるかという大げさな話になり、ぼくは時間がお金より大事になる時代がくる、と想像しました。例えば、「お金持ってるね」のように、「時間持ってるね」ということがある種の社会的ステータスになる時代。ケインズは1930年に『孫たちの経済的可能性』において100年後を予測し、100年後の先進国は経済的には4倍から8倍に成長し、週の労働は15時間に縮減するといった、あの予測の、今は外れている後者が現実化してくる。自分が自由にできる時間、ケインズのいう「余暇」への関心が高まっていくのではないか、というか、そうなったらいいな、と思います。
 というのも、そもそもこのままだと地方が自然消滅していくという時代です。考える未来の対象がない深刻さです。お米農家さんのような第一次産業はますます苦境になるでしょう。でもその「苦」とは、経済の範疇の話です。農家さんとお話をしていると、農家さんは、とても「時間持ち」です。自分で自由にできる時間が都会人に比べ明らかにあり、ゆとりを感じます。
 その農家さんのゆとりは農政の補助政策があるから、もその理由の一つであるように、経済政策も、地方を救う有効な処方箋です。でも、資本主義が時間さえも支配することに望みを託す以外に、道はないものなのでしょうか。補助から脱却できないのは、効率化や成長を優先する社会だから、生命や植物のような、生産するにはこれ以上縮められない時間が存在する産業がどんどん追い込まれているという、犬の尾を食うて回っているだけなのかもしれません。
 この活動を続けて、日本のお米を未来につないでいくにあたり、光を見出す方向に、何らかの哲学的な転換が求められているのではないか。まだ答えはありませんし、あるのかも分かりません。とはいえ、きっとそんなテーマとぼくらは向き合っているのではないか。今年はそのあたりを、3人でああでもなく、こうでもなく言い合いながら、新しい挑戦をできたらいいなと思います。

長野県木島平の小池さんを訪ねて

 長野県の北部に木島平村という村があります。去年からお取引をさせていただいている小池さん。僕らと同年代です。この村、実はおいしいお米の名産地で、先日行われた国内最大のお米コンクール「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」において、5000というお米が全国から集まる中で、このエリアのお米は多数受賞されています。小池さんのお米も今年、見事に栽培別部門若手農業経営者特別優秀賞を受賞されました!
 この秋、稲穂が実る小池さんの田んぼを3人で訪ねました。長野駅から車で1時間ほど。広々と広がる空と田んぼ。近くにはスキーができる雪深い山。お米作りには最適な環境であることはすぐにわかりました。「夏場もそこまで暑くはなく、夕暮れ時にはひぐらしが鳴いている中、作業するのはなんともい
えない風情ですよ」とのこと。何ともうらやましい職場です。
 一般的には農業の高齢化が進んでいて、後継者不足が悩みとなっていますが、木島平村では、小池さん
はじめ、ちゃんと若手がいるそうです。この村のお米をいかに発信して
いくかをいろいろな試みをされています。その一つが「田んぼテラス」という、田んぼにウッドデッキ!をつくってしまうという何ともユニークなものです。普段は農家さんしか入れない青々とした田んぼの中からまるで庭のように風景を楽しもうという発想。おいしさもさることながら、この活力!とても頼もしい存在です。

 当たり前ですが、お米は1年に1回しかできません。四季の移ろいにあわせて、小さな芽から、稲穂に約半年かけて育ちます。それが、毎年繰り返されていく。

 三木成夫さんという解剖学者の「海・呼吸・古代形象」という本があります。そこには、植物と動物の細胞の育ち方の違いが書いてあって、植物は、細部からどんどん大きく分裂していって、全体が大きくなっていく。環境とバランスがとれたところで、成長が止まるそうで、原理的には無限に伸びうる成長の仕方。他方動物は、最初から臓器や部位の一つ一つの単位が決まっていて、個々の部位が完成するように各細胞が分裂していく、全体が最初にあって、部分ができていく有限性のある育ち方。だから、植物は葉っぱは天を向き、根っこは地に張って、深くは大地から、高くは天空まで地球とつながって、延々と伸びる形をしています。一方、動物は有限の形だから陸や海から自由になり、移動ができるそうです。だから栄養のとりかたも、植物は「フロー型」(流れ)であり、動物は「ストック型」(貯蔵)であると。

 それを読んで、場所(大地)からの解放だけではなく、時間も同じように動物は植物から解放されたのだと思いました。植物はどうしても四季の移ろいなど、成長や生命の維持には地球の運動と呼応せざるをえない周期性がありますが、動物はその周期から自由になり、時間を支配しようとする。特に人間は知恵を使って、できるだけスピードや効率を図ることで生活を豊かにしてきました。20世紀に発達したサービス業も、その時間と場所を自由にする付加価値であるとも解釈できなくもない。

 そのなかで、農家さんはいうまでもなく植物を相手にしたお仕事で、悠久の地球の運行に身を任せている。農家さんとお話していて感じる泰然自若さは、そういうところからきてるのか、と妙に納得するとともに、「ひぐらしの鳴くことがある職場」に僕ら3人が感じたうらやましさは、その自然の流れに逆らわないスタンス、だったのかもしれません。

 この5年で農家さんは2割減ったと先日発表されていましたが「おいしい」ものを欲するのも人間の性。その本によれば、内臓系は植物と同じ構造だそう。人間にある植物性に依拠した豊かさの追求。農業には、まだまだポテンシャルがあると思います。

2015年12月日経トレンディに掲載されました

 11月4日発売の日経トレンディ12月号の中の「米のヒット甲子園」という小特集に、僕らの活動がちらっと掲載いただきました。
 表紙の「2016ヒット予測100」とはこの特集は直接関係ないですが、日経トレンディのこの年末号は毎年注目している号でもあり、こんなご縁に恵まれてとても光栄です。
 きっかけは先月の青山Farmer’s Marketでの出店のとき。一人のお客様が、丁寧に僕らの活動に耳を傾けてくださって、ふたをあけたら記者さんだった!という、まさに千載一遇でした。他のお客様とお話をしていても、いままで以上に日本米の未来に関心が高まってきているように思います。TPP大筋合意の影響もあるのでしょうか。いよいよ切迫した危機感、が出てきました。

 ただ、TPP大筋合意が仮になくとも、僕らが農家さんを回っている実感としては、日本人が同じようにみんな日本米を食べる時代はそう長くはつづかないと感じます。農業を担う若手は少なく、平均年齢70歳弱の農家さんが10年後はどれだけ残るか、あるいは世代交代しているか。あまり楽観視できない深刻さです。対策として、よくいわれている集約化、大規模化によって生産効率を上げれば維持できるという側面もあります。でも僕らが懸念するのは、「質」まで担保する難しさです。土や水、気温の環境は田んぼごとに違い、「土作り10年」といわれるように整えるには時間と手間がどうしてもかかります。

 あまり日本米を食べない日本は想像しづらいですが、かつてはみんなが「Made In Japan」の服を来ていた時代があったように、たとえるなら、今の農業はまだ着物の手織り、みたいなものなのでしょう。それを人手がないので、工場生産にして自動化していきましょう、という流れです。大規模流通では、それが適していると思いますし、日本米の未来にとってもそれは必要だと思います。

 とはいえ、僕らのような規模の場合は、追求するべきは「質」のほうだと思っています。ピンポイントで農家さんとおいしいお米を食べたいお客様をつなぐことで、日本米のおいしさの質を最大化すること。まだまだそのポテンシャルは眠っています。農家さんは顔もみえてお届けする分、より精も出しますし、よりおいしいお米を届けようとすれば、一番おいしい田んぼのお米を出そうとします(同じ田んぼごとに味が違います)。僕らも1年間おいしい状態で届けるように保管する。

 時代に逆行しているかもしれませんが、標準化では配慮しきれない手間をかける質を徹底的に追いかけることを、農業が伝統工芸になる前に、とことんやってみて、できるだけ確立したいと思います。
 幸い、世界では日本食が大ブーム。まだまだチャンスはあるはずだと信じています。ここまでの細かいことは記事になっていませんが、そんな思いを記者さんにお話していました。
 ぜひ、ご笑覧くださいませ。

日経トレンディ2015年12月号

2015年 農家さん巡り

 9月21日から23日にかけて、長野、山形、宮城と農家さんたちに会いに3人で行ってきました。

 東京から千葉と小木曽が車で出発し、長野駅で金沢からの嘉門と合流。そこから長野県木島平村の小池さんに会い、山形の東根市まで移動し宿泊、翌日村山市の黒沼さんに会い、その足で新庄市まで北上、今田さんとあって宮城県栗駒に移動、五十嵐さんに会い、千葉の実家であり僕たちのおこめの物流センターを司る千葉のご両親にご挨拶し宿泊という強行スケジュール、延べ走行距離1,500kmでした。

 農家さんは稲刈り直前が多かったため、綺麗な黄金色の稲穂の田園風景が一面に広がっていました。気持ちのいい風、夕焼け、ゆったりとした時間、日本の地方の美しさを再認識しつつ、1000年前もお米をつくり、同じ風景を見ていたのだろうかと悠久の時間に思いを馳せたり。3人での再会は久しぶりでもあり、普段はテレカンで簡素な業務連絡ばかりですが、ゆっくり話も重ねることができ、いい旅でした。

 山形県新庄の今田さんと話をしていて、「とにかく、おいしいものを僕も食べたいんです」という言葉が印象的でした。
 GPSを片手に、自ら山の奥深くに入り、野にできた山菜やたけのこ、きのこ、果物を穫ってくる今田さん。野に育ったものを食べると、畑のものは食べられなくなるそうです。野に生えたものは、人の手を借りずとも自然と好条件が揃ってできたまさに「天然もの」ゆえ、それに勝る美味しさはないのだと。しかも同じ種類の山菜でも、生えているところで味が違うからまたヤミツキになるとのこと。魚も釣ったら必ず血をすぐに抜くこだわりよう。確かに、出していただいた山でとったブドウの生搾りジュースは今まで飲んだことのない濃厚さとフレッシュさで、めちゃめちゃ美味しかったです。若いタケノコも大きなナメコも素材そのものがとても香ばしい。なんて贅沢な食生活なんだろうと舌を巻きました。
 お米は人の手がないと育たないものとはいえ、同じような感覚で、どの田んぼが「理想郷」か、常に見極め、きちんとわかっているそうです。この感覚があれば、おいしい米もできるわけだ、と納得しました。

 どの農家さんにも、僕らはそのような「おいしい部分の田んぼ」のお米をお願いしています。他の田んぼや農家さんのお米と混ぜずにピュアなピカイチ米を届ける。僕らのような小さな規模の、顔がみえる流通だからこそお届けできる質があって、それを追求するのが使命だと思っています。

 おかげさまでこの活動も7年目に入ります。今回は会えませんでしたが、新潟県小千谷市の川上さん、愛知県の知多市の土井さんを加えた6農家さんで「おいしいおこめの おすそわけ俱楽部」をお届けしてきます。
 10月は一番乗りで新米が届いた川上さんのお米をお届けします!今年も「イイ出来です!」と自信作、お口にあえば幸いです。

石川県オススメ空間ガイド

 先月の書かせてもらったところ、ありがたいことに「おすすめの観光スポットも教えてよ」というお声をいただきまして、今月は、私なりの石川県のおすすめスポットをお伝えさせていただきます!
 といっても、兼六園や近江町市場、金沢21世紀美術館などの名所はさんざんメディア各社に取り上げていただいているので、地元の人でもあまりしられていない、取材拒否だったり、あまり混んでほしくないので地元人からも出てこなかったり、まだできたばかりで火がつく前だったりの、隠されたスポットをまずは3つ、お教えします! 
 ただ、もともと私のバックグラウンドは建築設計なこともあり、建物や空間重視になっちゃっていますので、さしづめ「おすすめ空間ガイド」といったかんじですがご容赦ください。
 もしも、北陸にいらっしゃる機会があれば、参考になれば幸いです。

イヴェールボスケ/ケーキ+片山津温泉街湯

 温泉地で有名な加賀市にあるパティシエのお店。もちろんケーキもコーヒーも美味しいのですが、私としては建築の魅力をぜひ押したいです。まわりは田園で、何もありません。大きな窓は、田園とひとつづきになる開放感があり、木の座り心地のいい椅子で、ゆっくりケーキやコーヒーを味わえます。
店主は、お店を開くにあたり、このロケーションを選びぬき、水道もガスもきていないところをインフラまで整備したそう。
 設計は玄人から尊敬を集める堀部安嗣さん。微に入り細にわたり、手触りや寸法に丁寧にこだわって、テーラーメードのスーツのような着心地のよさの空間をつくりだすことに定評があります。

 堀部さんは住宅設計が主なので、あまり一般の人が中まで入れる建築は東京でも荻窪に1件くらい。堀部空間を、美味しいケーキとともにゆっくり味わえるこの希少なお店は、僕にとってはとても贅沢なことで、かしこみかしこみ満喫しました。
 さらに、この近くに、世界的巨匠建築家の谷口吉生が設計した銭湯、「片山津温泉総湯」まであるから驚きです。喩えるなら、沢田研二と齋藤和義が同じステージにいるような組み合わせです。NYのMOMAも設計した建築家の銭湯、500円でおつりがきて入れます。恐らく、日本で最もシャープな銭湯かと。
ケーキの前でも後でも、あわせて楽めば、なお最高です!

 湯宿 さか本

 能登半島の先端、珠洲(すず)市にあります。NHKの朝ドラ「まれ」で、田中泯さん演じる桶作元治がつくる塩田があるのもここ。まさに日本の原風景の山里に、ひっそりとたたずむ隠れ家的な宿です。コンセプトは「いたらない、つくさない」。いい意味の「ほったらかし」です(といっても尋ねれば丁寧に対応してくれます。積極的に構ったり話しかけてはこない、というかんじ)。
 チェックインもなく、ただ部屋に通されます。部屋にはテレビもエアコンもない。鶏の鳴き声と、部屋と通る風と団扇で、都会を忘れ、ゆったりとした時間が流れていきます。気をつかうことをわすれ、いつのまにかすごく「楽な自分」がいます。しかも、料理にもこだわりまくっていて、金沢の一流どころの寿司屋も常連になるような美味しさ。白身魚の昆布シメや、手作り豆腐、庭でとれたタケノコ料理は、特にやみつきです。
 そして、僕らSKYも3人でよく行きます。開業前、この宿で10年後のSKYをそれぞれが作文して発表しあったのがもう6年前。カエルの鳴き声を聞きながら、じっくり夜通し語り合うには最高の場所です。僕らの原点の宿。折りをみて、また行かなくては。

ふるさとは

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(室生犀星)


 昨年、石川県に里帰りしました。それまで東京で15年ほど過ごしましたが、故郷の影響力は大きいですね、帰ってきて1年も経つとすっかり方言が離れなくなり、上京しても洗練された高層ビル、垢抜けた大人たち(!)の大都会文化に圧倒される「おのぼりさん化」できるようになりました。
 3人の子どもたちも、これまた適応が早くて、カエルを触るのも躊躇していたような都会っ子もどこへやら、ほっておいたら日が暮れるまでトカゲを追いかけています。

 平日は役所で観光の仕事をしています。アメリカ企業で8年働いてからの田舎の公務員は組織も人も全然違い、こちらはまだまだカルチャー・ショックの日々、毎日気絶しそう、慣れるのには時間がかかりそうです。
 とはいえ、故郷の観光に携われることはやりがいがあります。北陸新幹線が開通して、週末の金沢には観光客がいつになく溢れています。僕が小さいころは欧米人をみるのは映画の中だけだったものですが、地図かiPhoneを見ながら実物がこの街を歩いている。金沢だけでなく、現在放映中のNHKの連続ドラマ小説「まれ」の舞台になっていることもあり、能登半島の奥にも人が来てくれています。

 観光客がいると、(地元は当惑することも多々あるようですが)、雰囲気が明るくなりますし、自分の街の良さを再認識するきっかけにもなります。そして、この街の記憶が一人でも多く方に残っていく。
 観光って何か、と問われることもしばしばあります。語源では「易経」にある「国の光を観る」こと、という言葉が引用されるのが通説で、光っているものを観に行く、のだそうです。
 でも、最近は逆なんじゃないかと思っています。観に行くことで、光があたるのではないかと。
というのも、帰ってきて実感したもうひとつの現実として、地方の文化は風前の灯火だ、ということがあるからです。
 昔は光っていたであろう地方に残る文化も10年後にはない、というものも珍しくありません。例えば能登の輪島には「千枚田」という鉄板の観光名所があります。海に面した傾斜地に重なる田んぼの風景です。
「日本農業の聖地」とされ、能登が世界農業遺産に認定されたときのアイコン的存在ですが、お米をつくるには最も効率が悪い環境でもあります。もちろん、コンバインが入るわけはなく作業はすべて手作業。この田んぼを守る農家さんは現在3人。しかも全員70歳以上。3人で千枚の田んぼを手作業で。とてもお米づくりとしては生計が立たない。でも、「ご先祖さまが守ってきたものだから」という使命感で、気力で続けている状態。
 そんな中、この千枚田を下支えするのは観光客の支援「田んぼオーナー制度」です。この伝統の継承に共感した全国の方が田んぼに出資し、そこで獲れたお米を食べる、というもの。文化の火がそのお陰でなんとか継続されています。尽力されている市の職員の方の言葉が耳から離れませんでした。
 「後継者をさがすのは、もう無理です。今の代が最後。でも、1年でも長く、人の目に触れて、記憶をとどめて欲しいのです」
 能登のような里山、里海に根ざした生活の地域を回ると、農業や漁業が生活や文化の中心にあることを実感します。先日、日本遺産なるものに認定された能登の祭り文化も、五穀豊穣や大漁を願うことが起源。第一産業が「第一」な理由です。
でも、ご多分にもれず昨今話題の「消滅可能性都市」でもあります。日本遺産と消滅可能性都市。皮肉にも、この二つの認定が同時期にありました。

ぼくなりには、観光は交流を通じた世代を超えた人類の記憶の継承、だと定義づけています。そしてその記憶は、できるだけ自然の原理のように、多様なほうがいい。人間は所詮、忘れる生き物。でも、忘れたくないものを忘れてしまうより、忘れたいことを忘れたほうがいい。その選別が、地方は問われていて、地方創生のミソなのかなと思います。
 上の室生犀星の詩の「遠く」は、物理的ではなく、時代的な「遠さ」として読むほうが今日的なのでしょう。1000年後のこと。
この活動を通して感じてきたやりがいと使命感は、地方にきてますます強くなり、日々、燃えています。